ロジック構築とその後 |
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消去法で必然的なロジックを組み立て、ポジティブにプレゼンテーション
を進める。知識の強調は役にたたない。
ミックス嫌い(;_;) |
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アレンジまでは楽しいんだよなあ。
まだ、ミックスに楽しみを見い出せない。
さて、昨日仕事終わってからやったミックスが一晩明けてどう聴こえるか。
いつもやってる筋トレに背筋のストレッチを加えたら、腰痛が少し緩和された。
やっぱり、腹筋と背筋のバランスか。
Eeeの901ほしいな |
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PC |
バッファローから増設メモリが発売されるなんていう話題はもう古いですが、実際速度が極端に遅い(例えばRead:10MB/s)とかいう場合じゃなければ、EeePCブームが止まらなくなりそうですね
以前はUSBメモリ内蔵したり、改造が容易でしたが今回は空洞も少なく、SDHCの16GBをさしっぱにしても20GBちょいの容量しかないというのがネック
個人的にはHDDを積んで耐久性や稼働時間を落とすのならば、10GBでいいからSSDのほうが良いと思うんだけどね
そんなことよりもずーっと気になっているケースがある。これだ
電源を2台搭載できるフルタワーケースなのだが、値段が1万円ちょっとしかしないという超お手頃品
ちゃんと電源連動ケーブルも付いてくるし、ケースの厚さも1mm/14.8kgとそこそこしっかりしてそう
最近のケースでよくあるツールフリー構造ではないし、むしろ中身だけ見ると値段なりだなぁなんで思う出来だが、フロントパネルのデザインも悪くなく、120mmファンを前後とサイドに設置できるのはうれしいところ
気になるのはフロントI/Oの位置だとか、電源の熱だったりするわけだが、HDDをたくさん積んだりVGAを2枚3枚積む人にとってお手頃なケースなのではないだろうか
HDD1台しかないけどな
米Intel、業界初のx86メニイコアプロセッサ「Larrabee」の概 要を公開 | パソコン | マイコミジャーナル |
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Quote Intel |
CPUとGPUの中間のようなアーキテクチャを持つLarrabeeだが、Intelによれば当初のターゲットはDirectXやOpenGLをサポートするようなグラフィック・アプリケーションが中心になるという。つまり、NVIDIAやAMDのATIがターゲットとしているようなミッドレンジ以上のGPU市場だ。将来的にはプログラマブルというLarrabeeの特徴を活かし、並列性の高い科学技術分野などのアプリケーションにも応用範囲を広げていく計画だと同社では説明する。
NvidiaやAMDの専用GPUのパフォーマンスと電力性能比に、メニーコアとは言え汎用CPUがどこまで迫れるかが見もの。
レノボ初のNetbook IdeaPad S10 正式発表 - Engadget Japanese |
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Quote PC |
レノボ初となる低価格ミニノート IdeaPad S10が正式発表となりました。S10は10.2インチ画面にAtomプロセッサを載せたいわゆる"Netbook"ノート製品。価格により2モデルが用意されており、US$399の下位版は512MB RAM / 80GB HDD、$449の上位版は1GB RAM / 160GB HDD。
共通の仕様は10.2インチ1024 x 600 LEDバックライトディスプレイ、Atom N270 (1.6GHz)、802.11b/g WiFiと有線LAN、Bluetooth、4 in 1カードスロット、ExpressCardスロット、USB 2.0ポート x2、マルチタッチ対応トラックパッドなど。サイズは厚さ28mm・重さ約1kg。バッテリーは3時間駆動の3セルまたは6時間の6セル。OSはWindows XPがプリインストールされます。
面白みに欠けるな。10.2インチ画面ならもう少し解像度が欲しいところ。
8時またぎのカラー画像をチープな活字見出しのように |
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画像 |
・ 8時またぎ のカラー画像を週刊誌の中のチープな活字見出しのようにできた。一日たったあとのネタの色あせ感はこんな感じだ。
「死ねば良いのに」考 |
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死ねばいいのに |
「死ねば良いのに」
自分はその言葉を昔から使っていた。ダウンタウンの某番組が始まるより、遥かに前の話だ。
とりあえず結論だけ言えば、「死ねば良いのに」という言葉の存在ーそれを公共の場で使ったり、人に向けたりーに拒絶反応をする人は、「自分には生きる価値が有る」と思っていたり、あるいは自分の人生を他人の不条理によって歪められる事の無い幸せな人なんだろう。
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自分はある時から、自分に生きる価値がある思えなくなってしまった。
生を望めなくなってしまった。生きなければいけない理由がなくなってしまった。
それは自分のどうしようもなさに気づいた時からかもしれないし、
他人から評価をされない自分に気がついたときからかもしれない。
いずれにしても、自分という存在が、どうにも無価値にしか感じられなくなってしまった。
だから「死」に対して特別、拒否感嫌悪感は抱いていない。
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「人間が生きることは何ものにも代えられない」
拒絶派が「死ねば良いのに」を否定する理屈は主にそこだったりする。
だが、例えば2000万人を粛正したスターリンを、「死ねば良いのに」と考え、その死を公然と願うことは、間違っているのか。
ある人間によって、自分が受容できない程の被害を被るような場合、その人間の考えを変えられないとしたら、あるいはその人間の行動をどうやっても自分では止められないとしたら、もはやその人間の死を願うことしか被害者には出来ない筈だ。それは間違っているのか。
死は時としてその他の選択肢と天秤にかけられる。
それゆえ、死は相対的なものであって、絶対的ではない。
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「死」をあまりに敬い、忌避しつづける連中というのは、「死」を絶対的な終焉と見なすが、それはそいつらが主観的にしか物を見れないからだろう。だから主観的な絶対的終焉に対して異常なまでの恐怖と忌避感を抱く。
だがそういう奴は総じて、他人の考えを理解できないし、また自分が他人に迷惑をかけても自覚していない。
そして自分のネガティブな側面に気づかないまま生を謳歌している。
別にKYな連中に対して俺は拒絶したりしない。多数から一方的に自分の行動を否定される事の不条理さを知っているから、たとえKYでも優しく見守ることにしている。
だが、それが自分に対して言論弾圧を行うなら話は別だ。
しかも彼らの行動の論拠は忌避感という一方的な感情論ときている。
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「死ねば良いのに」
俺がその言葉を最初に使ったのは他人に対してではない。自分に対してだ。そこから始まっている。
だから拒絶派に対して言いたい。
もし「死ねば良いのに」という言葉を否定したければ、俺に、生きる価値を与えてくれ。生きたくなるような世の中にしてくれ。明日を絶望させるような政策を実行しようとしている連中の考えを合法的に変えてくれ。