Re: おめでとうございます!
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ありがとうございます!
そうですね、溜め込んじゃったらだめですもんね
Re: http://utsg5z.sa.yona.la/22
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ありがとうございますー
Re: 確かにいろいろありましたね
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ありがとうございます
おおお、そっちの方が大事な気がするんですが
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こんなのでも結婚できちゃうんだと思うと云々(ぇ
ありがとうございます
Re: http://q7ny3v.sa.yona.la/1372
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ありがとうございます
って、5つ!?w
Gのおねーさんかっこいい。 |
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お気に入り つぶやき | |
Twitterで拾ったんだが、貼らずにはいられなかった。
こうやって聞くと、韓国語は特に語尾の音が自分的には音楽的に響かないんだなあ。
演奏のおねーさんたちかっこいい。
おれを殴れ!殴ってくれ! |
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こんな素晴らしい話題なのに、
「ミエリン」
ってのだけ目に飛び込んで来て、どこの萌えキャラだよって思ったおれを誰か殴れ。殴ってくれえええええええ。
何かおれ、疲れてるな。うん。
メアドとTwitterアカ忘れずに |
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そこで車を降りて、彼女の車の窓をコンコンと叩いて、
「お困りですか?」
って爽やか白い歯でにっこりだろう。
45秒で華麗にに決めて、
「いえいえ、大したことじゃありませんから。」
と言っても、お礼を!って食い下がって来る彼女に向かって、前髪をさり気なく払いながら、
「じゃあ、何かあったら。」
ってさり気なく名刺渡して颯爽と去る。
で、後日、彼女らしきメアドから、
「この絵を買うと、運転がもっと上手くなるんです!」
ってメールが来て、Twitterアカの方でスパムアカに大量にフォローされるという目に遭うんですねわかります。
と言うところまで妄想した。そんな金曜日。
Re: どーするか
Facebookコワイコワイウー |
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おれの勝手な言い草なんだけどさ。
Facebookは、あの友達増やせ!ここにおまえのすべてを垂れ流せ!プレッシャーがすごくて閉口する。
何かアレ、日常全てを自発的に自白させるツールな気がするよ。
ああいうとこ見てて思うんだけどさー、普通の人って、趣味以外の共通点でどうやって友達になって会話すんの?
ほぼオタ友だけと付き合ってると、特にああいう表面的な付き合い(言葉悪いけど、おれの印象)の場で、共通の話題もなく友達だねーって繋がるのって、一体どういう心境なんだ?と思うわけだよ。
リアルで会えるのに、何でネットで近況把握しなきゃならないの?的な。
遠距離とか滅多と会えないけど親しく繋がってたいとかあれば別だけど。
本名と顔晒して日常垂れ流すとかどんな拷問だよそれ。晒せる顔も垂れ流せる日常もないおれには縁のないツールだな(僻みだとも悪いか)。
と言う、激喪の勝手な言い草。
夜の空気はヒンヤリしている、まだいける |
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この空気がムワッとしてくるとダルくなって何でも手っ取り早く済ませてしまう。
そこの駐車場で四苦八苦してる貴女に告ぐ |
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告ぐ | |
そのままの状態で3mくらい前に出ながらハンドルを左に多分1回転半くらい切れば車体が真っ直ぐになるから、そこで一旦車からおりて前輪の向きを確認してまた乗ってハンドルを右に切ってまたおりてまた向きを確認して前輪もまっすぐだったらそのままバック、って、ええええそのまま行っちゃうの?それでいいの?そこだと絶対こすられるよ?
皮膚 |
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itext | |
誰かの素肌に触れることは、とても素敵なことだ。
手を繋ぐこと、頬に触れること、頭を撫でること、抱き合うこと、口づけること、もっと直裁に、誰かと寝ること。
特定の誰かがいるならいちばんいい。その人に触れたいと思うことは、世界に許されている。その人が触れてもいいと言ったなら、いつでも触れることができる。それはとても素敵なことだ。
特定の誰かでなくてもいい。たまに会った知人友人、抱き合うことの許される相手。たまたま出会った子ども。頭を撫でてもいいだろうか。機嫌のいい赤ちゃん。訊けば多分、頬をつついても許される。泣かさない限り。
誰かと触れ合うのは素敵なことだ。誰かと手を繋いで歩けるなら、それはとても素敵なことだ。
雨の日に傘ひとつを分け合って、それを口実に肩を寄せ合って、雨と湿った空気といつもよりも見通しの悪い視界のおかげで、ひっそりと傘の下の空間に、大切な人と閉じこもっていられるのはとても素敵だ。
挨拶代わりでもいい、あるいはもう少し親密でもいい、口づけられる相手がいるなら、それはとても素敵なことだ。頬や髪や手や指や肩や首や、あるいは唇や。
誰かの体に腕を回す。腕の長さは足りないかもしれない。余ってしまうかもしれない。相手の体は冷たいかもしれないし、あたたかいかもしれない。思ったよりも柔らかいかもしれないし、想像よりも硬いかもしれないし、案外骨張っていたり、案外ふわふわと頼りなかったりするかもしれない。
抱き合ってじっとしているのは案外苦痛かもしれない。いつ腕をほどこうかとか、もうちょっと力をゆるめてくれないかなとか、もう離れてもいいだろうかとか、意外と雑念の混じるものかもしれない。
見た目ほどロマンティックではなくても、それでも誰かと抱き合うことは素敵だ。
腕の輪の中に誰かの体を収め、あるいは誰かの腕の中に自分の体を収めて、心臓の音や体温を限りなく近くする。相手を、そこへ寄せることを許し、相手に寄ることを許される。それはとても素敵なことだ。
皮膚に隔てられた人間たちは、他人のその皮膚に触れることを渇望し、それは恐らく、その皮膚の消滅を願ってのことなのだろう。
皮膚を失くし、そこに現れる粘膜や筋肉や血管や臓器は自分のものではなく、それでも、誰かとひとつになるために、それを隔てる皮膚を、まず失くすことを願わずにはいられない。
皮膚は、人間たちを個にし、世界と他の人間たちと分け、「自分」で在ると区別をつける。個は孤独に繋がり、孤独を恐れて、人は他人の皮膚を恋い慕い、自分の皮膚を厭う。
自分を自分たらしめている皮膚を、人はある時憎み始め、剥ぎ取ることを夢見て、それは、孤独への怨嗟の声でもあるが、皮膚を失くしたところで孤独が失せるわけではないと、気づくのは皮膚を剥ぎ取った後だ。
自分の皮膚を剥ぎ、誰か──欲した誰かの皮膚をまとう。そうして、自分ではない誰かを、皮膚を失くした自分の上に重ねて、自分と誰かが融合したような気分にはなれるのだろう。
自分と誰か。ひとつのもの、と言う錯覚。
私とあなた。あなたと私。ふたりはひとつ。
そんなはずはないのに。
だからこそ、自分ではない誰かに触れることは、とても素敵だ。
私は自分の皮膚を剥ぎ取っては生きてはいられないし、誰かの皮膚を剥ぎ取って、身にまといたいとも思わない。
世界と他の人とを隔てるこの私の皮膚は、私と言う存在の外側を造り、それを他人に晒し、彼ら彼女らに、私と言う人間を各々認識させる。
世界にとって、私は皮膚だ。
皮膚を剥ぎ取られれば死んでしまうだろう私は、死んだ後には肉と骨の、元は人間だった生き物の残骸となり、それはもう私ではない。しゃべり、考え、書き、誰かの皮膚に触れたいと願った私ではない。皮膚を剥ぎ取られた私は、私ではない。
そんな大事なものを、私は、誰かに触れさせて欲しいと思う。誰でもいい時もある。通りすがりに、ふと触れた肩や、転んだ後に差し伸べられる手や、そんなものが、私の世界、つまり私の皮膚をひと時あたためてくれる。
あるいは、特定の誰かと、どこかへ閉じこもり、特殊な触れ方をしたいと思うこともある。剥ぎ取れない皮膚の代わりに、服を脱いで、交換できない皮膚の代わりに、服を交換して、そんな風に、特定の誰かの皮膚に、触れたいと思うこともある。
世界は皮膚に満ちていて、けれど触れられるのはほんのわずかだ。世界中に敷き詰められるほどの皮膚に触れたいわけではなく、ごく少数の、大事な人たちの皮膚に触れてみたいと思う。
