Re: http://q7ny3v.sa.yona.la/1697
取り急ぎ |
返信 |
Reply ばか Dailymotion YouTube | |
対AFRA(ヒューマンビートボックス)戦
http://www.dailymotion.com/video/x1f4m1_afra-vs-%E3%82%BF%E3%83%A2%E3%83%AA_people
対ZEEBRA戦
以下蛇足。
ラップの人によく見受けられるこの発声法って、喉が心配。
本を読む人 |
返信 |
itext | |
彼は寝そべって本を読み、私は体育坐りの形で膝の上に本を乗せ、同じ部屋で一緒に読書の最中だ。
私は、自分のことを読書家と思ったことはなかったが、冗談でもそんなことを自称しなくて良かったと、読書家と言うよりは活字中毒のような彼の、床に長く伸びて微動だにしない背中をちらりと見て思う。
本の虫と言う、もう少し可愛げのある言い方もあるが、彼の、どこか人間離れした言動を考えると、それはあまり冗談にならないような気がして、私は彼を、対外的には本好きな人だとか読書家だとか、そんな言い方で表現している。
彼は、暇さえあれば本を読んでいる。
幸いに、トイレに持ち込んだり、食事の場で開いたり、そんな行儀の悪いことはしないから安心しているが、屋根と壁に囲われている場所では、ほとんど片時も本を手放さない。
私も元々本を読むのは好きだったから、ふたり同じ部屋にいて一緒に、まったく別々の本を読んでいると言う状態は、最初の頃は気になったものの、そういうものだと慣れてしまえば、好きなように本の読める楽しみの方が勝って、同じ空間にいるのだからそれでいいじゃないかと、今は気にもせずに考えている。
薄いナイロンのかばんを、くるくると小さくまとめてポケットに入れ、彼は時々ひとりで空手で出掛ける。行き先はふたつ先の町の本屋だ。何が特別なわけでもないその本屋へ、私と一緒にこの町に引っ越して来てからも忠犬のように通うのは、恐らく学生時代からの馴染みだからなのだろう。
私にもそんな本屋はあるが、店主と親しげな口を利くような間柄にはなれずなる気もなく、せいぜいがこっそりと、顔なじみになった店員の女性のひとりに、注文を間違えた本を何とか買わずに済むように頭を下げ続ける程度だ。
毎月買っている雑誌を、そろそろ定期購読を申し込もうかと、もう何度も考えた同じことを、ページをめくりながら私はまた考えていた。
彼の背中は相変わらずぴくりとも動かない。
私の方へは裸足の爪先を向けて、同じ部屋にいると言うのに、私のことなど忘れてしまったように、あるいは最初から存在しないのだとでも言うように、彼は読んでいる本の中へ入り込んで、もう呼吸で空気すら揺らさない。
私の友人たちの輪の中へ彼が入って来た時に、最初に言われたことが、
「あの人はすごく変わってるから。」
滅多と口を開かず、積極的に誰かと関わることもせず、ひとりの時──大抵彼はひとりでいた──は目の前をどこともなく凝視しているか本を読んでいるかのどちらかで、拒否のオーラではなかったが、近寄りがたい空気をまとっていたのは事実だった。
私は彼自身にはまったく興味は湧かず、ただどんな本を読んでいるのだろうとそれだけが気になって、後で聞いたところによると、彼の方も、見掛けると必ず本を携えていた私の、その本の中身のことが気になっていたそうだ。
ふた昔前なら、文学青年と呼ばれてそれで終わったのだろう、身綺麗にはしているが飾ると言うことをしない外見と、本には金を惜しまないがそれ以外のことにはまったく興味を示さない態度が、私の友人たちの輪の中では明らかに異質だった。
読書以外に取られるある種の時間を内心惜しみはしても、そのために友情を捨てられるほど高潔でもない私は、ごく一般的な本好きとして、適当に人付き合いを楽しみ、友人とのお茶の時間のために、読みたかった雑誌は今月はぱらりと立ち読みしてすませても平気な人間だった。
幸いに、彼は自分の在り方を他人に押し付けるタイプではなく──単純に、そんな話し合いをする時間が惜しいだけのように思える──、私がごくごく狭く浅く本を読む人間だと知った後もそれに幻滅した様子もなく、せっせとひとり本を読み続けている。
私は、元々の本好きの上に彼に感化され、以前よりも本を読む時間が増えていた。
彼は、本を読む彼の傍で、私が音楽を聴こうとテレビを見ようと一向に邪魔にも思わないらしいが、一心不乱に本を読む彼の背中を眺めていると、何となくその世界の端っこにでもいたいような気分になって、私も結局本を手に取ってしまう。
せめて同じことをしたい。彼はそれと特に求めてはいないが、私はこの不思議な人のいる世界へ少しでも関わっていたくて、夕べ寝る前に読んでいた本の続きのページを開くのだ。
彼は、本をとても丁寧に扱う。読む時には必ずしおりかそれ用のものを手元に引きつけておくし、汚れたままの手で本に触ることなど絶対しない。読み終わればすぐに本棚に戻し、枕元へ積み上げておくのは手に入れた直後の数日だけだ。彼の本は古びたものもあるが、どれもきちんとカバーは掛かったままだし、帯も中の広告も、すべて手に入れた時のままだ。
彼とこうして同じ空間を分け合うようになった最初の頃、今と同じように一緒に本を読んでいて、私は途中でひとり読書を中断したことがあった。
鳴った電話を取るために、慌てて読んでいた本を開いたまま伏せて置き、数分後に電話を終えて自分の位置へ戻って来ると、伏せたはずの本は、読み掛けのページにメモ用紙が挟まれて置かれていた。
http://q7ny3v.sa.yona.la/1660 |
返信 |
フレスコのウマ辛カレーパンはちょっとクセのあるカレーで好み
http://q7ny3v.sa.yona.la/1658 |
返信 |
ソレなりに殊勝にしてりゃいいのに
ソレなりに殊勝にしてりゃいいのに
http://46e8mk.sa.yona.la/69 |
返信 |
あと3時間10分
http://8xcsp6.sa.yona.la/110 |
返信 |
ハイパー泣きたくなってきたけど頑張ろう。
"私の場所" |
返信 |
itext | |
書き物をするのに、外に出るのが好きだ。コーヒーショップや小さなカフェ、カフェが閉まった後はバー(騒がしくて下世話なカクテルバーでも想像してもらえれば大体雰囲気は合っている)へ移動して、酒は頼まずに、何かつまめるものとコーヒーか紅茶を頼んで、店の隅の席でノートや本や辞書を広げる。大学の頃の論文書きはいつもそんな風だった。
家にいる時なら、まずは何か飲み物を淹れて、深刻でもなければ締め切りもない、ただの趣味の書き物なら紅茶を1杯、そうではなくて、頭をかきむしりながら書かなければならない類いなら、大きなポットにたっぷりと紅茶を作る。
次は音だ。好きなバンドのCDを繰り返し流すか、あるいは何枚か選んでおいて、CDの入れ替えを気分転換のタイミングにするか、そうでなければもう潔く、繰り返すのは1曲だけにして、1日中書き物が続く限り同じ曲を延々と流し続ける。
PCを普段使いにするようになるまで、当然ながら書き物は手書きだった。紙とペンはこれでなければならないと、何か儀式のように、特に大学の論文書きの時は決まった道具しか使わず、清書の時に読み解くのに苦労する乱れた字をちまちまと走らせる。
PCで清書すると、どんなに下らない論説もそれなりに筋の通った、何か高尚な文章に見えるのがありがたく、紙の上の自分の字はとても読めた代物ではなかったが、PCで清書が済めばそれはともかくもりっぱな"論文"とやらになり、教授のところへ提出してしまえば、私は自分の書いたことをきれいさっぱり忘れてしまう。
あまりに静かだと、私はかえって集中できない性質(たち)で、適度な人込みのざわめきの中にいて、逆にその中で自分を孤独へ追い込むのが好きらしい。
学生の頃、お気に入りの喫茶店があった。夫婦でやっていたその店は、いつも流行りからは少しだけずれたタイプのポップスが流れていて、紅茶の種類が多く、食事も美味しかったから、私はそこへ行けば1時間は居坐ってあれこれと下らない書き物をしていた。
手紙もあれば、小説もあった。批評文のような、そんなものも書いていた。薄く色のついたルーズリーフにB4のシャーペンを滑らせて、右手の小指の下が真っ黒になるのに気づきもせず、私は週末の午後を、一心不乱に紙と文字に向き合って過ごす。ただひたすらに、愉しいだけの時間だった。
外で書き物をするのに、面白いことに、人がいて椅子とテーブルがあるところならどこでもいいかと言うとそうでもなく、何箇所か試したのだが、今の私のいちばんのお気に入りはスターバックスだ。これもどこのスターバックスでも良いわけではなくて、大きなテーブルが、まるで食卓のように置いてあって、同じように書き物や調べ物の作業をする他の客と場所を分け合うような店が一番好みのようだ。
その次は図書館だ。ここは当然ながら、飲み物の持ち込みに気を使う(しっかり蓋の閉まる、倒れても中身のこぼれない携帯マグを持ち歩いている)のが少々欠点だが、当然ながら作業用の机は広々としているし、気分転換に手近にある本に手を伸ばすこともできる。
ただ、今時は普通にネットに繋がっているPCが置いてあって、ついそちらへ気持ちが行ってしまい、結局目当ての作業はしないまま家に帰る、と言うことも時々起こる。
フードコートは気に入らなかった。騒がし過ぎるし、そこにいる人たちと、私の書き物をする時の波長が合わないようだ。食べることではなく、作業をすることがまずは主目的の人たちが多い方が、私の気分もそれに添うらしい。
たかが趣味の雑文書きに、あれこれとうるさいことだ。私自身もそう思う。
食べることが主では気が散るはずなのに、そう言えばもうひとつのお気に入りにマクドナルドがある。
私はファーストフードにはまったく興味がないが、マクドナルドはそこそこエスプレッソ系のメニューに力を入れていて、私のアパートメントからはとにかくもバス1本で10分弱で行ける(もっとも、バス停まで同じくらい歩く)場所にそれぞれ1箇所ずつあり、書き物の雰囲気に添う方はなぜかコーヒーの味が今ひとつで、雰囲気が今ひとつの方はコーヒーの味が好みだ。どちらに行くか、気分次第だがいつも迷う。
雰囲気が好みの方は、仕切りの壁の傍にひとり掛けのテーブルがあり、部屋の隅に近いのでそこへ坐ると少し小さな空間へ閉じこもったような気分になれるのだ。家族向けの場所では、ひとり掛けのテーブルは大抵空いているのがありがたい。
もうひとつの、コーヒーの味が好みの方は、店の規模は半分以下なのにひとり掛けのテーブルがひとつもなく、ひとりで4人掛けを占領することになり、少し忙しい時間だと肩身が狭い。作業を進めてから退散しようと思うのに、気持ちが挫けて中途半端に席を立つことがたまにある。
こんな風に改めて考えると、私は書き物を理由に外に出て、自分の小さな居場所を見つけたいのかもしれない。残念ながら外に見つけるそんな場所は、どれひとつ恒久的なものではないが、何となくいつ行っても私を快く迎えてくれるような、そんな気がする場所なのかもしれない。
私は昔、そんな居場所を"私の場所"と称していたこともあったが、私はいまだ、同じことをしているのかもしれない。
http://raru9x.sa.yona.la/59 |
返信 |
Reply x6a7u9 zig5z7 | |
あーなんか分かるような気がするー。分かるとは断言しない辺り、及び腰なんだけど。
小学生のころに見つけた秘密の場所的なロケーションと、完璧ではないジャンプ台がゲータレード臭を漂わせる。
一方Googleさんは思いっきり金かかる倉庫的ロケーション、巨大プロジェクター、リア充ぽさを演出するのであった。
いや私は敢えてゲータレード跳躍を推すよ。
x6a7u9と四万十川跳んで、その後BBQとかしちゃうんだからね。
http://8xcsp6.sa.yona.la/108 |
返信 |
すごく感情論な一週間だったのだけれども来週はもっとスマートに生きたい。
るんるんな早起きから始まっていろんな人の思惑がごちゃごちゃしたところを通ってよく解んないけどとにかくふわふわしたりもやもやしたりしてた週。
そういえば今日は雨が降っていて雨といえば
夕立のりぼんは最近のヒット曲なわけで
隠しごとが したいよ したいよ 内緒だよ
って余計に感情的になっちゃうような歌詞に刺激されてたわけです。
ただ、気づいたのは、私に対する彼女や彼の影響力というのは自分で思っているよりも大きかった。
私もあの中の一人でいたい。
他人から、あの人は努力しているんだって思われるような彼らが私は好きです。
ともかく、後悔はしてないけど色々と内省しているのでした。
じゃあやりますかね。スマートに。




















