衛宮士郎について |
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Fate FateStayNight |
『Fate/stay night』は奈須きのこ×武内崇コンビ作品の中でも特に歪みを抱え、主人公を縛る制約が強いhttp://bosel.blog64.fc2.com/blog-entry-2774.html
衛宮士郎についての話題のスレなのですが、
士郎はTYPE-MOONの他の作品に比べると、典型的熱血主人公キャラだよね。
士郎のゆがみは熱血主人公の異常さをあえて描き出した結果のように思う。
Fate/stay nightのFateルートだけ読むとそれほど士郎が異常とは思わないはずだ。
だいたい正義の味方キャラって冷静に考えるとどこかおかしい。でもたいていの作品はその異常さをスルーして主人公をヒーローにする。
http://q7ny3v.sa.yona.la/1929 |
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真犯人が接触してきて、
『サイコパスぽくメール送っといてあげたから自白しちゃいなよ。
あんた前科もあるし裁判で弁護士にさんざん無能呼ばわりされたんだぜ、
その上その面じゃあ、プ。
あ、ゴメン。』
とか言われたらオレも尾行を知りながら黙ってスマホ受け取って埋めるかも。
ん?真犯人じゃなくPCの履歴を精査してて同じメール作れる立場の組織がある、ゾ。(陰謀説)
http://q7ny3v.sa.yona.la/1927 |
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サイコパス。普段は同僚に見限られる技量、まともな成果物アウトプットしたためしなしと。しかし人格がスイッチするとスーパーハッカー、他人のPCに忍び込み過激な挑発行為。
マンガやな、「ビンゴ!」とか言っちゃうんやろな。
Fate/holllow ataraxiaのルビ振り |
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Fate FateHolllowAtaraxia |
Fateは文中のルビの振り方の独特なセンスが見物なのだけど、特にholllow ataraxiaはすごい。
思わず笑ってしまう。
フェイト/ホロウ アタラクシア・言葉の読み方問題集
桜ルートエンディングについての議論 |
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Fate FateStayNight |
『Fate/stay night』の桜ルートENDはトゥルーとノーマルどちらも罪を償う道 - でもにっしょん
http://bosel.blog64.fc2.com/blog-entry-2701.html
コレ読んでたらもう一回桜ルート読み直したくなってきた。
特にラストの言峰と士郎の殴り合いのとこ。
>>「“生きてるだけで周りに害を齎す人間が生きたいと願うのは罪なのか、そんな人間を生きていて欲しいと思うのは悪なのか”」
これがHFの命題として一番しっくりくるな。感心した
このコメントに納得。
Fate/hollow ataraxia バゼット深読み3 |
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FateHolllowAtaraxia Fate |
バゼットの二次創作小説やイラストを書きたくてまたFate/holllow ataraxiaの「夜の聖杯戦争」を読み直してしまっている。
最近自分の解釈が出来つつあるのが、以下のくだりのあたり。
「---なんで。何の取り柄もない私を、どうして選んでくれたのです。
私は貴方の言う通り、弱くてつまらない人間なのに」
(中略)
「……なるほど。つまり貴方は、私がどうでもいい人間だから助けたのですね。」
--ああ。
そんな平凡な人間だからこそ、そんな弱い君だったからこそ---オレには、かけがえのない光だった。
(天の逆月)
当初はあんなに超人的な戦闘能力を持つバゼットのどこがつまらなくてどうでもよくて平凡なんだよ、と納得できずにいた。
確かにメンタルは弱く見えるのだけど、記憶を失ったまま戦いに放り込まれても立ち向かえたり、困難や試練があるほうに自分自身を向けて行くあたりは根本的には強い人間だと感じる。
バゼットが「つまらない」人間であるとされる理由は、バゼットが世界を救う英雄のような超越者ではなく、衛宮士郎のように正義の味方になろうという意思もない点だ。
バゼット自身は「夜の聖杯戦争7」のなかで自分が言峰やランサーに殺されたのは、彼らのようなわりきれた精神的強さを持てなかったからだと語る。
神代の英霊の力を駆使しながら一個人の悩みから抜け出せないことが「つまらない」「平凡」と称されているのだ。
一方でアンリマユは世界の半分を示す悪神の名を冠されながら、その正体はただの平凡な青年にすぎなかった。
この二人は超越的な存在であれという期待を周囲から背負わされながら生きる「一般人」同士だったのです。
それで上に貼ったような会話が出てくる訳ですね。
バゼットとジナコ=カリギリとCCC主人公 |
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Fate FateEXTRACCC FateHolllowAtaraxia |
ええ、hollow ataraxiaのバゼットが大好きです。
EXTRA CCCはhollowのテーマを再構築した作品でもあって、そういう意味でまた大好き。
バゼットの性格には極端に強い面と弱い面が混在していて、それがキャラクターをフクザツにしていたところがある(そこがいいのだけれど…)。
EXTRA CCCではhollowでバゼットが担当したテーマを2人のキャラクターに分割して受け持たせている。
精神的に強い面は主人公に、弱い面はジナコ=カリギリに割り当てられている。
これでテーマが分かりやすくなったし、更にキャラの掘り下げもできていた。特にジナコ。
主人公は瀕死の状態で「死にたくない」と願ってサーヴァントと契約し、その後記憶がない状態で戦いつづけるハメになっても、めげずに立ち向かってしまう。中盤以降、旧校舎にとどまっていれば自分もみんなも死なないことを知って若干葛藤するものの、結局外の世界に出ようと奮闘し続ける。
これはバゼットの心の強い部分の抽出だ。
その主人公の強さと対照的なキャラクターを演じるのがジナコ=カリギリ。
Fateで初めて現れた聖杯戦争を拒否するキャラクター。
聖杯戦争という現実に存在する強者の為のルールを見破り、用務員室に閉じこもって反抗した弱者の代表。
第2章のラニとのやりとりは気持ちのいい弱者のタンカだ。
ラニ :何を言うのです。
チェスは公正、公平なゲームです。
運の要素を一切廃し、二人のプレイヤーが
同条件で思考ルーチンを競い合う……
これのどこが不公平なのでしょう。
ジナコ:不公平じゃん。
どんなにゲームシステムがイーブンでも
打つプレイヤーの性能に差があるんだから。
ラニ :なーーーなにを言うのです。
プレイヤーに差があるのは当然です。
そのために腕を鍛えるのではないですか。
ジナコ:鍛えても埋まらない差はあるよ。
これはあらゆるものにある。
だからーーーこの世に、平等なものはない。
ゲームなんてその最もたるものだよ。
システムが完璧であればあるほど、あとは
プレイヤー性能がゲームの主軸になる。
ジナコ:わかる?公平を謳うんなら、それは
素人が玄人と対戦しても”勝ち目がある”
ルールじゃないといけない。
チェス、囲碁、将棋なんてこの世でもっとも不公平なゲームシステムだ。
ジナコ:なーんで、そんな出来ゲームにジナコさんは参加しませーん。
ラニさんはそこで”ズルして勝ち誇る”キャラでいてくださーい。
(ジナコ 第2章)
強者と同じ土俵に載せられる事を拒否する弱者の知恵。
バゼット、アンリマユ、カレン |
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Fate FateHolllowAtaraxia |
以下のブログ記事がバゼット、アンリマユ、カレンの関係をすっごく分かりやすく解説していたので引用。
ゲーム評「Fate/hollow ataraxia」 -エヴァから遠く離れて- / kagamikakologのブログ
http://blog.livedoor.jp/kagamikakolog/archives/21908.html
回りくどく云うのは私の性にはあわないのでストレートに云いましょう。
本作は、楽しい日々が続くことを願った観察者=主人公に憑りついた悪魔アンリマユ
が日々を延々とループさせますが、これは明らかにプレイヤーのモティーフです。
メタレベルにおいてアンリマユ=プレイヤーの重ね合わせが行なわれているのは
火を見るよりも明らかです。アンリマユのパートナー(マスター)である魔術師バゼットは
極めて空虚で物理的強さはともかく精神的には頼りない人物として描かれますが、
彼女はアンリマユの”部分”です。そしてそれはアンリマユは彼女の部分であることを示す。
アンリマユが彼女の左腕であることを見れば明らかです。アンリマユ=バゼット
であり、プレイヤー=アンリマユ=バゼットの重ね合わせであるのです。
アンリマユがバゼットを大切にするのは、彼女が、自分自身のような存在であるからです。
そんなアンリマユと恋人になり、そして瀕死だったバゼットの身体を癒すカレンの
キャラクター性は明らかに普遍的なエロゲヒロインの象徴性としての意味合いを
付加されています。普遍的なエロゲヒロインの象徴性とは何か。
それは”プレイヤーへの絶対の献身”です。カレンは周囲の”醜い欲望”(作中で
醜い欲望として指示されているのは明らかに性的欲望)に身体が自動的に反応し
(つまり相手が発情すれば自動的に発情する)相手の欲望のはけ口として機能
するようになっている。明らかに普遍的なエロゲヒロインの象徴であり、そして
彼女の存在自体がエロゲーマーに対する原罪として機能する。カレンは外界
(=現実世界)に犯される為だけの存在であり、犯すのは当然現実世界からの
観察者=プレイヤー=アンリマユです。彼女は犯されることで機能を失う。
彼女の身体の臓腑は機能を果たさなくなってゆき、彼女の目はもう何も見えない。
当たり前です。なぜなら、現実世界のプレイヤーは、ヒロインを犯した後(攻略した後)
は、別のヒロインに移って、犯した彼女をHDDの中に放置=機能停止させるからです。
カレンは普遍的な”攻略される前/攻略された後”をその身で示すヒロインなのです。
私のようなひねくれたプレイヤーだと、寧ろこのねじれが美味しく感じるんですが…。
メタレベルまで読み解かずにただ感覚的にこの物語を受け入れれば戸惑うのは
当然でしょう。なぜなら、ここには無言の、隠された、エロゲーマーへの告発がある。
Fate/hollow ataraxiaのアンリマユ、バゼット、カレン、この三人をメタレベルとして
読み解けば、後は非常に分かりやすい構造です。アンリマユが虚無=虚構、非時間性
としての終わらない日々=エロゲプレイ中(笑)を示しているとすれば、バゼットは
実在=現実、流れて行く時間性を示している。バゼットは現実に帰ることを拒否し、
永遠に非時間性の世界――エロゲ世界にいることを望みますが、それをバゼットと
同にして非なるもの――バゼットの半身たる純粋なエロゲプレイヤー的価値観の
象徴であるアンリマユは拒否し、エロゲヒロインたるカレンに導かれて、無へと至り、
バゼットを現実世界へ返すのです。いやあ…なんというか…。物凄い嫌味で…。
正直云って、嫌味が効き過ぎてラストではゲラゲラ笑っちゃいましたよ。アンリマユは私に
とって物凄く共感できる奴でしたが、当たり前です。彼は”エロゲーマーの仮象”ですから、
私のような生粋のエロゲーマーの価値観を共有するタイプの存在として描かれている。
Re: なん、、、だと、、、、 — 3Dconnexion SpaceNavigator インプレッション
http://x3ru9x.sa.yona.la/10202 |
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Reply unity blender |
ニコニ3DがUnityを採用したことで、動画はFlash、3DはUnity となっちゃいました。 Flashで3Dグリグリの線は徐々に廃ってしまいそうです。
Unity編集時に SpaceNavigator が使えるのだったら使ってみたい。
ま、それまでは Alt + マウス です。 (Alt + Ctr + マウス、Alt + Shift + マウス、も。 Alt が軸)
ちなみに、Blender は Ctr が軸で、
・ Ctr + マウススクロールホイール
・ Ctr + Alt + マウススクロールホイール
・ Ctr + Shift + マウススクロールホイール
でグリグリ。
http://x3ru9x.sa.yona.la/10201 |
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メモ unity |
アセットの書き出し方も まだちゃんとわかっていない。 ヒエラルキーに入ったオブジェクトはアセットペインにドロップしなくちゃいけないのか.. そうしないとアセット書き出し時に含まれない ?
http://q7ny3v.sa.yona.la/1884 |
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ストレスで細胞が初期化された博士、割烹着にくるまれた赤子の姿で会見に登場。
というのがこの件でお気に入りのジョーク。
ぐへへ |
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LittleWitchAcademia2 |
足フェチには堪らんね
小さな楽しみ |
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itext |
私はほんとうに、始終飲むもののことばかり考えているようだ。
棚の中に紅茶がたくさんあると安心する。自分で買ったものも人から貰ったものも、どの順番で使うかと、考えている時の私の顔は、きっと見れたものではないだろう。
どこででも紅茶が葉で買えると言うわけではないので、すべて切れしまった時のために、ごく普通のティーバッグも箱で買って置いてあったのだが、それが近頃空になってしまった。次の箱を買って来るかどうか、まだ悩んでいる。
紅茶を葉で買える店は大体把握していて、街の中心地、地中海の食料を主に扱う店には、他では見たことがないニルギリやウバやダージリンやケニアの葉が置いてある。スコティッシュ・ブレックファストを、私はその店で初めて見掛けた。
気兼ねなく使う葉は、中近東系の食料品店で買うのだが、この手の店は入れ替わりが激しく、この間までそこにあった店がもうないと言うことも珍しくない。おかげでこの紅茶の葉を、私はアラビア語の使える友人知人たちに空箱を見せ、どこかの店で見掛けたことはないかとしつこく尋ね歩く羽目になったことも何度かあった。
そのために、この葉の空箱を、私はいつまでも捨てることができないのだ。
実家へ寄る機会がある時は、真っ先に紅茶を買い込む。
気に入った店があり、そこではコーヒーの方が主な売り物なのだが、紅茶もひっそりと扱っている。ティーバッグと葉の両方を、カバンの隙間を見繕いながら、できるだけ沢山買う。家族は呆れている。
不思議なことだが、この街で手に入れた紅茶は、実家に持ち帰ると水の質が違うせいかまったく違う味になる。実家付近で手に入れた紅茶は、どこでどんな風に淹れてもいつも変わらず美味しい。
実家ではコーヒーしか飲まないのだが、普段の私はほとんど紅茶しか飲まない。紅茶は、いくら飲んでも飽きない。
私にとっては、紅茶はいわば米の主食のようなもので、コーヒー(エスプレッソ系の)はちょっと特別なご馳走らしい。週に3度以上カフェラテを淹れると、途端に紅茶が恋しくなる。
ティーバッグは、淹れた後にそのまま捨てればいいが、葉を使う時は後始末が少々面倒だ。以前はティーポットを使っていたこともあったが、一度にひとり分しか淹れなくなってから、マグカップしか使わなくなった。
茶漉しに葉を入れて、そこに湯を注ぐと言うやり方は好きでなく、何かいい方法はないかと探して、Tea infuserと言う、湯の中に直接沈める茶漉しのことを知った。
簡単に言えば金属製のティーバッグのようなもので、よくある茶漉しの小さなサイズをふたつ合わせたような形をしていて、スプーンのように持ち手がついていたり、長い鎖がついていたりする。
使う葉の量によって大きさも選べるのだが、普通に店では見つからず、ネットで買おうとすると輸入する羽目になりかねず、ある時ふたつみっつ先の街で偶然見つけ、思わず複数買い込んでしまった。
その後しばらくはこの茶漉しを使っていたが、これが意外と消耗が激しく、年に数度新しくすることになり、金属製だから形はしっかりしているのに合わせ目がゆるんで来てそこから葉がこぼれるようになると、もうだめだと新しいのを下ろすのに、ひどく心が痛むようになった。
そうして結局、いわゆるお茶パックとやらを使い始めてしまった。
これを、私は堕落と感じたのだが、前述の茶漉しよりもずっと簡単に店で見つかると言うことは、紅茶を葉で飲むのに面倒はいやだとか、形のきちんとした道具をもう使えないと捨てるのは気が進まないとか、そう感じるのは私だけではないと言う証拠だと思って、以来ずっとお茶パックとやらを使い続けている。
葉を、スプーンですくって、開いた不織布の袋の中に入れる。包みの中の葉は、私がスプーンですくうたびに量が減り、保管用の缶の中には新しいティーバッグが増えてゆく。私はそのちまちまとした作業を、喜びとともにやる。
葉はすくうたびにいい香りを立てて、目の前で減って行く葉は、つまり次に新しい紅茶を買う時期が近くなると言うことを示している。
次はどんな葉を買うかと、考えながら私は、小さな袋に葉を詰めてゆく。私はこの作業が大好きだ。
紅茶を保管している棚がいっぱいだと、心底幸せになる。そしてそこから少しずつ箱や包みが減り隙間が多くなって来ると、不安になると同時に、また新しい葉やティーバッグを買って来れると、別に幸せの感覚が湧いて来る。
こんな風に書いていると、私はまるで、ちょっと危険な中毒患者のようだ。
飲み物を持たずに外出すると、必ず不安になる。喉が渇いたらどうしよう、紅茶を飲みたくなったらどうしよう。ドーナッツショップが、角ごとにあるこの街でそんな不安は滑稽なのだが、どの店で紅茶を買っても、自分で淹れた紅茶の方が絶対に美味しい──と感じる──に違いないと信じている私には、カバンの中に、自分で淹れた紅茶の入った水筒がない状態は、まるで上着も手袋もなく零下20度の外へ出て行くような、そんな愚かで不安な気分でしかない。