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Re: 今日は
前のエントリーのつづき |
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Reply 広告とは |
絵は目的にもなるし手段・道具にもなる、につづけて。
目的にもなるし手段・道具にもなる ものといえば、お店 もそう。 "雰囲気を楽しみながらおいしいものを食べる" が目的であるならそうゆう店(洋食屋とか) が目的の対象となる。(店の目的化) "スピーディーに買い物をし時間をムダにしない" がその店に行く意図であるなら、店は手段・道具となる。(店は時間を浮かすための道具、目的は自分の時間をもっと取りたいになる)
で、店を道具として使えるなら "使い方の説明" 広告手法が使える。
たとえば、コンビニ。 コンビニで棚をゆっくり回って店の雰囲気を楽しもうとする人なんてあまりいない。 大方の人は時間を節約するために行く。
ここで コンビニの使い方を言い表すコピー 一つ。
"コンビニは バ・サ・ス だ。"
お客の動きの擬態語で、 バッ と入って、サッ と金払って、スッ と出る、を略したもの。(あーー苦しい)
アマゾンで買い物をすることを、"アマゾンでポチッとな" と言うことがある。 あれなんかも 使い方を言い表したコピーだろう。
もちろん、使い方が行使されたあとのリアクション(背景環境の) を使い方の後に付けてペアにする。 このコンビニの場合だと時間節約の為の使い方だから、結果シーンは時間に余裕があるようなシーンになる。
Re: 今日は
日付の擬人化つづき 6.22夏至子。 擬人化手法とはツール化でもある |
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Reply 自己レス 漫画背景画 広告とは |
前のは 6.19日曜っ子。 明日は、6.22夏至子。 今日は夏至日の前日。
日付を擬人化してカレンダーソフトと組み合わせたなら、擬人化キャラはツールの一部になる。 キャラを内容のあるキャラにするには その日を内容のある一日にする、と前のエントリーで書いた。(説明的には書いていませんがそうゆう意図でした)
キャラ絵を2枚用意して、1枚目を変身前、2枚目を変身後、とする。 そして、変身前をその日以前の予定告知として使い、変身後をその日の終わりと評価(ログ) に使う。 その日が内容のある日ならゴージャスな変身で、内容のない日ならちょっとの変身。
イラストを絡めながら、予定の通知、その日のログ、近況報告、なんかができる。 グーグルカレンダーもこんな感じで少しは面白く使える。
次に、
Re: http://fqmktw.sa.yona.la/330
http://86ru9x.sa.yona.la/4 |
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ありがとうございます
頑張ります!!!
Re: 自分もキッチンのテレビにHDMIでパソコンつないで食事中でもネット、テレ ビさっぱり観ません。
ラテ欄ってRSSかな、と、ふと思った。 |
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しかも、各コンテンツにアクセスできる時間は限られているし、RSS毎に際立った特徴があるわけでもないし(除:NHK教育と、事件の時のテレ東)、そりゃ見ないよなあ。少なくともリアルタイムでは。
(東京で言えば)例えば東京タワーやスカイツリーさえ無事なら何万人来ようが普通に捌ける、という意味では生放送ならまだ保つのかも。
それくらいしか思いつきません。
以下蛇足。
今後、クーデターを起こすとき、放送局の代わりはどこを制圧すればいいんでしょうね。
見てもらえないとこ制圧してもなあ。
Re: http://q7ny3v.sa.yona.la/1065
後に残る側からなら、「以後任せられない」とか。 |
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なんかそんな感じのオトシマエ。
であれば、「自分からオトシマエつければ武士の情けで退職金くらいは出してやる」になるのも、わからんでもないので。
…それはそれでどうかと思うケースも多いですが、退職金は「果たしていた責任の分」と考えれば、……うーむ。
Re: 失敗の責任は「取れない」んじゃないか、と思っています
http://q7ny3v.sa.yona.la/1065 |
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ココまでの責任を果たせなかったコトに、継続してこれから先に得られる予定だった収入とか名誉を放棄することでオトシマエ着けるってコトですかね。
Re: 失敗の責任は「取れない」んじゃないか、と思っています
http://xmny3v.sa.yona.la/885 |
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ああ、失敗した時点で責任果たしてないんだ! それもそうですね。
Re: 責任を取るとはどういうことか。
失敗の責任は「取れない」んじゃないか、と思っています |
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辞めようが何しようが失敗は消えないし、任されている責に「失敗を起こさせないこと」が含まれているのが責任者なので。
言葉遊びで、責任を「返上する」とかのほうが実情に合ってるんじゃないかと。
責任を取った、って言うとそれだけで何かちょっとかっこいいように聞こえちゃうのが嫌。
どのみち結局は辞めるくらいしかないような気はします。
書いてるうちに、「責任を取る」は一種の婉曲話法なんじゃないかと思えてきました。
やらかしたときは「責任を取った」だけど、でかしたときは「重責を果たした」だし。
Re: 引責辞任って変
責任を取るとはどういうことか。 |
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そもそも、辞める以外の方法で、どうやれば「責任を取った」ことになるのかよく分からないんですよ。言ってる私も分からない。日本人の特質と、安易に言いたくはないけれど……。責任を取るということは、つまり何をどうすることなのか。
Re: http://86ru9x.sa.yona.la/1
http://fqmktw.sa.yona.la/330 |
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そう考えられるのなら大丈夫。
一度失敗するのは悪いことじゃない。
でも連続はダメだよ。頑張って!
Re: http://qzb4ac.sa.yona.la/231
http://4vg4ac.sa.yona.la/1 |
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…生まれてきた明日から希望が生まれ
さらに生まれてきた希望からまた明日が生み出されてくる。
生み落とされた明日は「希望」からの信認を疑わず
希望は飽くことなく「明日」を生み出し続けていく。
Re: ^ω^
Re: すさまじい威力だった。
Re: 電車などで
以前、ココで書いたのですが |
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『女性専用車両』がまかり通る世の中なのですから、『発声禁止車両』を設ければいいと思うのです。
自分も、電車の中で聞こえてくる声はどんなときでも耳障りで本当にダメです。女性に限らず。
Re: sayonala で働くタグ発見
Re: "使い方の説明" について
"使い方の説明" について (その2) |
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Reply 広告とは |
マックがこれから先も高性能化 & 小型化し、頭蓋骨の裏側に埋め込めるインプラントとなったときのことを考えてみる。
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マックインプラントは説明もいらないほど直感的に使えるからマニュアルは用紙一枚だけ。
施術室でインプラントの埋め込みを終えたユーザーは 帰り際に使い方を記したその用紙一枚を渡される。
直感的に使えると言っても、ちょっとしたコツのいる使い方が1つ2つあって そのマニュアルがないとかなり遠回りすることになる。
ユーザーはマックの使い方は簡単という先入観からマニュアルを軽く見て 案の定その一枚のマニュアルをなくしてしまう。
マニュアルをなくしたユーザーはしょうがないから推理力を働かせ試行錯誤を繰り返し、マックインプラントの使い方を身をもって体得する。
そうしてインプラントへのアクセスの方法を体得し、マックの力を存分に引き出すことができるようになったそのユーザーは、いつしかマックマスターと呼ばれるようになった。
あるとき彼は、まだインプラントを埋め込んでいない友人にインプラントの使い方を伝える。
彼がした説明は実に簡単で、心をビュアにしてある種の脳波を出し 脳の状態を一定にしろ、というものだった。
そうして何日かの後、友人もインプラントの施術を施し、帰り際にマニュアルを渡される。 そのマニュアルを読んでみると、マックマスターが言ったこととほぼ同じだった。
ただ一つだけ違ったところは、"心をビュアにすること" という文言がどこにも書かれていないことだった。
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使い方の説明が広告となる、と前のエントリーで書いた。
このお話においては、まだインプラントを埋め込んでいない友人に使い方を説明するところが広告しているところとなる。
インプラントを先に埋め込んだユーザーは、まだ埋め込んでいない友人に 力の引き出し方を伝え、夢を与えている。
このお話は、外にあったものを体の中に置いたなら、という思考実験。 前のエントリーで書いた "使い方の説明" での広告手法とその原理は同じ。(インプラントをまだ埋め込んでいない = まだマックの実機をもっていない。 実機を持っていない状態で使い方の説明を聞いているシーン(つまり広告されているシーン)) (※ "使い方の説明" での広告手法とは、使い方を説明するまでもない操作が簡単な機器の操作を、実機をまだ持っていない見込み客に対して 演出を伴わせながらわざわざ説明する広告手法。 ex. まだプッシュホンを持っていない見込み客に、操作をピッポッパッと音演出して説明する。(かなり古いですがわかりやすいので))
で、これを今度は別な角度から見てみる。 すると... そうなんですねー、こうゆうお話の持って行き方は映画やアニメによくあるんですねー。
この一つの広告手法と言うべき "使い方の説明" (使い方を伝える) は、実は 映画やアニメの典型的なシナリオでもある。
スターウォーズもそう、このお話は force(フォース) の使い方を覚えていくルークスカイウォーカーの旅路を連想させる。
つまり、力にまつわる一連の物語を進行させる原理と、"使い方の説明" による広告手法とは根は同じで、見た目やムード、語り口調を変えただけだということ。
(映画の途中にいる観客はまだフォースを持っていない(映画の途中とはフォースがどうゆうものかの説明途中 & フォースの操作感を観客が掴んでる途中)。= 使い方の説明(実は広告) を受けている見込み客はまだ実機を持っていない(実機をイメージできるほどの操作感はまだ掴めていない。操作感をリアルに伝えることで実機のイメージを刷り込む、があって。))
物(or 何か)の力が目に見えない力となって自分に宿り、その力(言い換えれば目に見えない装置) の使い方を自分の体験(試練)によって体得し、体得したものを伝える(表現する) という形であるなら物語。