風俗やってるけど、目標がない。 |
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今日は仕事がやすみ。
だからさっきからネットで色々見たりきいたりしながらのんびりしてる。
それから秋だねー。ビール飲みたいけど、買いに行くの面倒だなあ・・
こんな感じに過ごしていたらいっつも思うんだけど、仕事したくないなあって思う(笑)
みんな思うよね??
目標がない私は尚更ですね。よし、目標みたいなもんちょっと探してみようかな?
じゃあちょっと気分かわるかな?
ヘルス嬢の日記二回目 |
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サプライズのことを話しましたが、今回はこの夏に起きた嫌なサプライズの話をします。
私は仕事場から電車に乗って、歩いてアパートに帰るのですが、その帰り道は夜になると街灯の明かりも疎らになって正直暗いです。
昼間は怖くもなんともない普通の歩き慣れた道なのですが、夜になるととても一人では歩けないぐらいに薄気味悪い感じになるので私は急いで家に帰っていました。
途中にある自動販売機の明かりが見えてそこを通りすぎようとすると自販機の脇に黒い塊があるのに気がつきました。前はそんなのなったのに、私はビクツキながらその黒い塊に近づくとそれは・・・・ゴミ箱でした。
前からゴミがここに捨てられるようでその為設置したようです。
マジでビビったんですからね!!
Re: いいこと思いついた。
ああ、やっぱり、 |
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既にあった。
http://itunes.apple.com/jp/app/chang-suoaramu-location-alarm/id441718598?mt=8
まぁ、自分程度の人間の浅知恵だしな・・・
http://x6a7u9.sa.yona.la/488 |
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FumeFX | |
うむ
RenderWarpsうぜぇ
FumeのGravityを使えば球形に力を与えられる事ができた。
ちゃんと改良されてて良かった。
これで色々と力技で行かなくて済みそう
Re: ちょっと泣いた
これは本当に心強いのです |
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返信じゃなく本人に直接言えって話ですが、もうね、Amazonで自分用にこれ買ったとき、最初普通に確定させたのを一旦キャンセルしてあわててブックマークレットからアフィコード付きの記事を作って自分で踏んづけ直しちゃいましたよ。こんなもんではyona.laのドメイン代にもなりませんが。
ヘルス嬢の日記を覗いてね |
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みんなに見て貰えるとうれしいです!
そう言っても大したことはないと思いますが(;;)
それでも日常で起きた出来事なんかを書き綴っていきたいと思ってます!
最近の事ですが私の暮らしているアパートの近くにはスーパーがありって、全国出店の大きな店ではなく地域の小さなスーパーです。
そこで買い物をして自炊をしているのですがこの前、そこのレジのおばちゃんに顔を覚えて貰って声を掛けられたのが思った以上に嬉しかったです。
一人暮らしでこんなぬくもりを感じる事が少ないので偶にこういったサプライズはいいですね(^^)
9月 |
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itext | |
9月はあまりいい時期ではないらしい。
ぱたりとやる気が失せ、すべきことにすら手を着けず、ただ無為に日々を過ごす。その無為に焦りを感じながら、それでも手も足も動かず、心は灰色に鈍麻したまま、美しいものよりも醜いと感じるものばかりが目に入り、ただただうんざりするばかりだ。
そのくせ、もう何度読んだかわからない文章にひどく心を揺さぶられて、ページを繰りながら泣いていたりする。
仕方がない。こんな時もある。
好きな音楽も聞かず、本だけは読みながら、けれど自分で指先を動かすことはろくにせずに、1日の終わりに、ああ今日もまた何もしなかったと思う。そうして、頭の中は空白に満ちて、なかなか寝付けない夜を、これもまた空白に過ごす。何を考えても心が浮き立たない。何も私の頭をいっぱいに満たしてはくれない。ひもじい感覚ばかりがつのるのに、そのひもじさを癒せる何かがわからず、私は夜通し寝返りを打って、夜が明けたら少しはましになるだろうかと、そればかり考えて、朝の間近にようやくうつらうつらする。
そうしてまた、同じ無為な1日を過ごすことになる。
カフェラテを淹れることが非日常になるほど、何もない私の時間は、24時間などあっと言う間に過ぎ去って、その間に何をしているのかと言えば、音楽を聴くでもなく映画を見るでもなく、ただ言葉の切れ端を追って、垂れ流して、それだけでささやかに満足を得て(募る不満の方が結局は大きくなるのに)、夜の終わりを区切りながら、また眠れないまま朝を迎える。
心も脳も、何かに飢えている。何かが足りない。何かが欲しい。
だが私には、それが何なのかわからない。
少しの間我慢していれば、事態はそのうち好転する。
なぜあんなにも、醜いと思うものばかりに目を突き刺されていたのかわからないほど、美しいものが目の前に甦って来るし、世界は音楽に溢れて、素晴らしい言葉に満ちているとまた思えるようになる。
私は笑顔を取り戻し、弾むように道を歩き、挨拶をする相手が自分に微笑み返してくれるのに、心の底からまた感謝できるようになる。
私に向けられる笑顔は決して無駄や社交辞令ではなく(もちろん私の誤解の場合もあるが)、たまには誰かが自分を好いていてくれるのだと、私は素直に信じられるようになる。
紅茶やカプチーノを淹れるのを、思いついた瞬間から飲み終わってカップを洗い終わるまで事細かに実況して、ネットのどこかへ垂れ流すような日々はひとまず終わり、私はようやく、何かそれなりにまとまったものを書きたいと思い始める。
何でもいい。それこそ、カプチーノの自己流の淹れ方だっていい。ある日のカフェラテの会心の出来を、事細かに描写するのだって構わない。私がそれを楽しめるなら、心底楽しんできちんと書くなら、何だっていい。
カプチーノを淹れるのが非日常の私の日々にとって、思わず出来た最高の味は、微細に描写するに値する。
私は恐ろしく退屈な人間で、それに劣らず退屈な日々を送っている。私はそれを、それなりに楽しんでいる。楽しい限りはこれでいいじゃないかと、美しいものが美しく見える限りは思い続けるだろう。
書き続ける限り、私は呼吸しているのだし、私は自分の脳を使って考えているのだし、私は間違いなく生きている。生きているなら、今はそれでいいじゃないかと、こんな時にはすらりと考える。
退屈な人生、先行きなど何も見えない人生、非生産的で、非社会的で、外へ向かって胸を張れるものなど何もない人生、それでも私はひとまず、ここにいて息をしている。少なくとも今私は、消えてしまいたいとは感じてはいない。
それで充分じゃないか。
卑怯だと言われようと現実逃避だと言われようと、私は今、美しくて楽しいものだけを見ていたい。呪詛も毒も必要ない。私は自分の憂鬱を抱きかかえるのに必死で、他の誰かの怒りや嫉妬や不愉快を、目にして抱え込めるほど寛大でも寛容でもない。
悲しみや淋しさの共有はやぶさかではないが、私と同じように努力を嫌う人間が、努力の果てに才能を花開かせた誰かに嫉妬する、その心に同意しろと強要されるのは、今はただの苦痛でしかない。
妬み嫉みがないわけではないが、そんな愉しくもない気持ちに、今は囚われていたくはないのだ。
美しいものを生み出せる人の存在を、有り難がりこそすれ、踏みつけにしようなとどは思わない。世界を明るくしてくれるその情熱を、愛することはできても否定も妬みもできない。
私が持っていないものを持っているあの人を、愛することはそんなに難しいことだろうか。
音楽は美しい。言葉は美しい。描(えが)かれた線と塗られた色は美しくて、私はそれを目にして耳にして幸せになる。


