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http://q7ny3v.sa.yona.la/2525

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五反田でたこ焼き生ビール、のあとおでんとバーボンソーダ。ちょっとバーボン合わないようになってきたかも。

投稿者 q7ny3v | 返信 (0)

http://q7ny3v.sa.yona.la/2520

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乗り換えの下北沢駅、修悦フォント?

投稿者 q7ny3v | 返信 (1)

EmEditor フリー版 (64bit)

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https://jp.emeditor.com/#download

 フリー版でも 各プログラム用の強調表示、色分け表示設定ファイル(psyファイル) が読み込める。


● MME、fxファイル用 表示設定ファイル (EmEditor Syntax) (MMEはHLSLというスクリプト言語で書かれている)

https://www.emeditor.com/files/hlsl-esy/


 これでfxファイルを開くと色が着いてパラメーターを変更しやすくなります。


● その他の表示設定ファイル

https://www.emeditor.com/library/

投稿者 x3ru9x | 返信 (0)

太もも

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j2yg6upt

4a8shiyn s4q5j9er

投稿者 x6a7u9 | 返信 (0)

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白和えを作ってあげる約束のこと思い出す別れたあとで

俵万智 | チョコレート革命

投稿者 uqb5z7 | 返信 (0)

Lit Sphere (リットスフィア) と MatCaps (マットキャプス) は同じもの、呼び方が違うだけ

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>> 最近では,UnityでもMatCap Shaders PackがAsset Storeで公開されています.<<


● ユニティーでのキャラクター表示 「Toony Colors Pro」 (約2500円)

http://jeanmoreno.com/unity/toonycolorspro/?webplayer

投稿者 x3ru9x | 返信 (0)

http://q7ny3v.sa.yona.la/2508

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160910_221710.jpg

ポールピースこんなに凹凸してるしポジションごとにも違う。全体の高さ設定が雑で申し訳なく。

投稿者 q7ny3v | 返信 (0)

http://q7ny3v.sa.yona.la/2495

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160820_202909.jpg

逆さのままフタしないと、やっぱり空気入ってる気がするな。

投稿者 q7ny3v | 返信 (1)

http://q7ny3v.sa.yona.la/2489

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そういや昨日、赤いごってりしたワンピースに黒のアイパッチというキワいファッション女子が電車降りてオーゼキで買い出してた。

投稿者 q7ny3v | 返信 (0)

7/16

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 たとえ小指の先ほどでもそこから動かなければ、何も起こらないままだと知っている。

 物事のうまく進まないことに焦れて、すべて放り出してしまいたくなるが、放り出して後で後悔するのが目に見えているから、何とか投げ出しはせずに、放置もすまいと必死になる。

 10字書いて3字消し、消した分を戻して5字足し、結局全部消して最初からやり直す。100字書くのに1時間も掛かって、挙句使い物にならずにまたすべて消す。

 手書きなら取り消し線と書き込みだらけで、一体何が書いてあるのか判読不能になるところだ。

 ルーズリーフに4Bくらいの芯を使っていた頃は、手も紙面も真っ黒に汚れた。その頃はまだ何とか読める字を書いていたが、今は恐らく自分ですら読めないだろう。すっかりキーボードに慣れてしまい、自分の筆跡もよく思い出せない。

 冬になるとキーボードを使う指がかじかむが、手書きだった頃もそうだったろうか。冷蔵庫よりも寒い部屋にいた頃、吐く息が白いことがあったのを覚えているが、指先の冷たさをどうしていたか覚えていない。

 そうやって現実逃避しながら、目の前の進まない作業に焦れて、今日は結局ここで手を止める。進んではいる。遅々としてだが。

 今日頼りにならなかった自分が、明日頼りになるとも思えないが、明日の自分がきっと何とかしてくれるだろうとさらに現実逃避して、今日の残りは別の作業をしよう。

 紅茶のお代わりのために、私は椅子から立ち上がる。書き掛けのそれに、まだ心を残しながら。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

7/15

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 朝、ヨーグルトを口にしたきりだった。

 外出中の私は空腹で痛みを感じ始めている胃を撫でて、家に帰れば冷蔵庫に何かあると、腹の虫をなだめようとした。

 1時間は我慢できた。それを過ぎて、まだ家に帰ったらと自分の空っぽの腹に向かって言い続けるのに疲れて、途中でカフェに寄って、ついでに久しく外で飲んでいないカフェラテを楽しむかと思ったのだが、カフェでゆっくりするほどの時間はなく、それについて内心舌打ちをしてから、帰り道の途中で、店内に椅子とテーブルのあるセブンイレブンで、ピッツァをひと切れ買うことに決めた。

 イタリア系の、菓子類は好みでないのだが、エスプレッソ系の飲み物とピッツァは美味しいカフェからは幾段も落ちるが、空腹に負けた私にはもうセブンイレブンのピッツァも大した違いはない。

 しばらく前にアイスコーヒーを買いに立ち寄った暑い日に、視界の片隅に入れておいた、小さめのドーナッツのことも気になり始める。

 空腹と言うのは恐ろしい。店に入ると、ペパロニの載ったピッツァの前を通り過ぎて、私はまずドーナッツの陳列台の前に立った。

 記憶の通りの小さくて丸いドーナッツ(真ん中に穴の開いてないタイプだ)がある。ひとつと思っていたのに、白いアイシングにキャラメルソースの掛かったのをひとつ、それからチョコレートのアイシングに同じ色の粒々の掛かったのをひとつ、これは今夜の、夕食の後のデザートにするつもりだった。

 それからさらに店の奥へ進んで、アイスコーヒーを買う。フレンチヴァニラは売り切れだ。仕方ない、モカにしよう。Mサイズのカップとストローを取って、脳の溶ける甘さを想像しながら中をいっぱいにする。

 甘さの見本のようなそれらを手に、私はようやくピッツァの前に立って、このひと切れをと、ガラスの向こうを指差す。髪の短い、少年のような女性の店員が、これよねと確かめながら、私が指した分を取ってくれた。

 レジで会計をしながら、私の頭の中はチーズとトマトソースでいっぱいだ。ここのピッツァは台がパンのように厚く、ひと切れで満腹になるのをちゃんと知っている。

 ピッツァの店で買うと、ひと切れが大き過ぎて食べ切れない。セブンイレブンのピッツァは小さめで、ふた切れは無理だがひと切れなら私にはちょうどいい。

 味に文句を言っている場合ではない。財布を荷物の中に戻して、私は買い物を両手いっぱいに抱えて、レジの後ろにあるテーブルの方へゆく。

 むやみに脚の長い、座面の位置のやたらに高い椅子にやっと腰を下ろし、私はまずひとつため息をこぼした。

 ふっくらとぶ厚いピッツァにかぶりつく。歯を立てたところからトマトソースがあふれて来て、甘みのある酸味の後を、チーズの香りが追いかけて来る。ペパロニはちゃんとペパロニの味と歯応えだ。今の私の胃にはこれで十分だ。

 目の前のガラスの壁の向こうを、車が走ってゆく。店の表の角に当たるそこにはゴミ箱と灰皿が置いてあって、今は休憩中の店員の女性がふたり、彼女らの友人らしい他の女性がふたり、楽しげに笑い合っている。彼女らの手にした煙草を見て、食後に吸う一服の味わいを、私はピッツァの台をもぐもぐ咀嚼しながら想像する。

 台の量に圧倒されて、トマトソースもチーズも口の中の片隅に追いやられ、辛うじてペパロニの、小麦粉からは程遠い食感が今私が食べているのは確かにピッツァなのだと伝えて来る。

 最初に行こうかと思ったカフェからは程遠い眺めと口の中の祭典だが、決して悪くはない。空腹がなだめられて、私はいい気分だった。

 カフェには歩いて恐らく20分強掛かるが、このセブンイレブンまでは10分程度だ。しかも24時間空いている。夜中の3時にピッツァを食べたくなれば、ここに来ればいい。にせものだが、舌がしびれるほど甘いのを気にしなければ、冬にはパンプキン・スパイス・ラテもある。

 もっとも冬の夜には、そんなものを家まで持ち帰れば凍ってしまうのだが。

 ピッツァで口の中が乾き、私はモカのアイスコーヒーをひと口すすった。思った通りに、甘い。口と喉の奥全部に、砂糖を塗りたくったような甘さが広がり、しみつく。それでも冷たいそれは、きちんと私の喉を潤し、胃の辺りまで冷やしてくれた。

 5分で食べ終わり、もう一度アイスコーヒーを飲んで、私は荷物を手に立ち上がる。

 外の彼女たちはまだ談笑と喫煙中だ。その傍を通りながら、煙草の匂いを、私はちょっとだけ懐かしいと思った。

 暑い日に、アイスコーヒーはたちまちぬるくなる。カバンの上に載せたドーナッツをちょっと気にしながら、私は足早に家へ向かう。

 夕方近いこんな時間に満腹に近くては、夕飯を作るのが面倒になるかもしれない。罪悪感が少しだけ胸の隅をよぎって行ったが、少なくとも胃の痛みは消えている。不健全な買い食いにひとり肩をすくめて、ちょうど青になった信号を見て、横断歩道を渡る。

 ストローが、カップの底を吸い上げて、ずずずと子どもっぽい音を立てた。アパートメントが目の前だ。

 唇の端に、トマトソースの匂いがまだ残っていた。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

ネタ商品

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コレ、いくらで売る気だろうな・・・(あと三時間半)

投稿者 sbifb4 | 返信 (1)

楽しい悩み (7/8)

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 少しの間、脳が泥状になるように忙しくて、それがやっと終わったタイミングで新しい本が手元に来た。小説が3冊。一度も読んだことのない本だ。

 長編を読み掛けていて、上下の上巻をほとんど読み終わっているところだった。下巻をきちんと読み終わってから、来たばかりの本に手を出すか、それともとりあえず上巻だけを読み終わってから、休憩のつもりで新しい本を読むか。何とも楽しい悩みだ。

 さっさと下巻を読み終わってしまうのが読んでいる本への礼儀だとは思いつつも、読み終わるのに少なくとも1日は掛かるだろうし、読書だけに集中できなければ数日掛かるかもしれない。その間、新しい本に触れずに、我慢できるだろうか。

 表紙を眺めて、ちらりと裏表紙や内側の折り返し部分のあらすじを読む。一体どんな話なのかと、ぎりぎりまで自分の忍耐を試すようなことをわざとする。

 今面白そうだと思うと同じくらい、面白い本ならいいなと、下巻に伸びる手を引っ込めがちに、私は考えている。

 1冊は、推理小説家の短編を集めたアンソロジー(最後に収録されている作品の作者が私は好きだ)、2冊目はある海外作家の短編集(同じ作家の別の短編集を何冊か持っている)、3冊目は殺人鬼の話だと言うので面白そうだと思った翻訳ものだ。

 下巻にブックカバーをつけながら、私は心の中で、この3冊をどの順番で読もうかと考えている。短編集は、他の短編集が面白かったので面白いに決まっている。アンソロジーはひとりの作家目当てで読む気になったものだが、他の作家の作品も楽しみだ。殺人鬼の話は、あらすじ程度しか分からず、作者についてはまったく無知だから、一体どんな文章でどんな内容でどんな結末なのか見当もつかない。

 不特定要素は多いが、1作1作は短く、そして作品の量は多い、まるでバイキングみたいなアンソロジーはちょっとならしにいいかもしれない。

 短編集は内容はまったく未知だが、同じ趣旨の短編集をすでに何冊か読んでいて、それが面白かったからこそこれを読もうと思ったのだし、期待の安定度では文句なしに一番だ。

 殺人鬼の話は、何もかもまったく分からない。面白いだろうと考えてはいるが、ほとんどすべてが謎に包まれている。

 初めて読む本と言うのは、まるでびっくり箱だ。何が飛び出して来るか分からない。予想と期待と、そんなものが自分の中でいっぱいになって、もしかするとそれは裏切られるかもしれないし、あるいは考えていた以上の結果が生まれるかもしれない。

 さて、どの本から読もうか。下巻は今3分の1を過ぎた辺りだ。読み終わるのに、後2日と言うところか。

 目の前の本(読むのはもう10回目くらいだ)へ心を半分向け、残りの半分は、机の端に積まれた3冊の本へ向け、私の目は紙面の文字を追いながら、同時に脳の中で楽しい迷いが生まれ続けている。

 登場人物が何か言っているが、それが一体何のことだったか、数ページ遡って読み返さなければならなかった。

 この本を後2日以内に読み終わるために、今はこちらに集中しよう。

 無理矢理視界を狭めて、本へ顔を近づける私の口元は、どうしようもなくゆるんでいた。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

にこ

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t56fdqvz

na8shiyn z2yg6upt mj8shiyn

投稿者 x6a7u9 | 返信 (0)

6/30

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 明日は遠出で、1日中外にいる。

 水分を忘れずにと麦茶を用意して、それから長い1日なので、紅茶ではなくカフェラテをと、そのために少しだけ早起きをする。昼のためにサンドイッチを作り、雨だそうだから傘も追加して、すべてをカバンに詰め込んで、明日の朝を待つ。

 半日以上の外出の時は、必ず紅茶かカフェラテを持参するが、どちらにするか、どれだけ持ち出すか、数日前から悩み始める。下らないことだが、考えている時はとても楽しい。

 暑い最中に、熱いコーヒーや紅茶はどうかと思いながら、朝早くから冷たいものを飲む気にはならず、眠気覚ましも兼ねて、やはり熱い紅茶かコーヒーを私は用意する。

 遊びに行くわけではないのだが、ある意味ではピクニックの気分であれこれ用意してカバンに詰めて、小学校の遠足前夜を思い出しながら私はベッドへ行く。

 明日のカフェラテの出来がどんな風か、ひと口飲んだ瞬間にどこかへ報告するわけには行かないだろう。多分その時、私は車の中だ。

 携帯だけは持って行くが、本もPCの類いも持っては行かない。そもそもネットには繋がらない場所だ。ポメラも置いて行く。遊びに行くわけではないのだから当然だが。

 さて、明日はどんな1日になるだろう。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

Black Widow (6/29)

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 突然、ビリヤードに夢中になっていた頃のことを思い出した。10年にも満たない間だったが、それなりに真剣ではあった。

 後で知ったことだったが、世界大会の頻繁に開かれる大きな街に比較的近く、ここよりさらにビリヤードの盛んな隣国の国境に近いために、この街にはプロとセミプロがひっそりと大量に集まっており、私が後(のち)にオーナーに頼まれて仕事をすることになったビリヤードホールは、そうした人たちのたまり場だった。

 私が自分のキューを手に入れて、ひとり玉を突き出した頃、たまたま私と外見に共通点のあるプロの女性プレイヤーが世界大会で優勝したとかで、それを理由に私に話し掛けて来る人が多かった。彼女を目指して私が玉を突いているのだと思ったらしい。やっとルールを把握したばかりの私が、プロの選手の話など知っているはずもなく、彼らが(そこで出会った人たちはほとんどが男性だった)きちんと発音のできないその選手の名前も、私にはひどく聞き取りづらく、その選手のことを正確に知ったのはずいぶんと後のことだ。

 20にもならずに、大きな国内大会で優勝したある選手は、ビリヤードをオリンピックの種目にと真剣に運動していたらしいが、プレイヤーのほとんどはテーブルの回りにいる時は煙草とビールが欠かせず、ゲームの間の休憩のたびに人目につかない裏手で、こそこそとマリファナを吸っているのが普通の状況では、とても現実的な話とも思えなかった。

 彼はその後、よくある流れでもっと強い薬に手を出し、素人の私にすら勝てなくなってしまった。

 素人ゆえに、彼らの話にきちんと耳を傾ける私を、彼らは都合良く解釈して、素直な人間だとか教えやすい人間だとか言っていたが、家族も親戚もないひとりきりで、言葉も習慣も違う場所へ引っ越して来た私が、彼らの思う通りに控え目でおとなしい人間のわけもない。

 私は相手のミスを誘うやり方でしつこく粘って勝つと言う、よく卑怯と罵られるやり方をしたが、それがむしろ私の本性で、私に負けると彼らは必要以上に悔しがり、中には暴力沙汰を起こしそうに怒りを露わにする人もいたが、私の幼い外見のせいかどうか、幸い実際に殴られたこともキューやボールを投げつけられたこともない。

 彼らはよくゲームで賭けをしたが、練習するだけで精一杯の懐ろ具合の私は彼らの誘いにまったく乗れず(もちろん、乗る気はさらさらなかった)、それをプールホールのオーナーが金を扱わせても心配なさそうだと判断して、ある日私に仕事の話を持ち掛けて来た。

 その頃、内職のようなことをして日銭を稼ぎ、後は貯金の残高を心配しながら暮らしていた私には願ってもない話で、給料の話すら聞かずにそれを受け、翌々日には仕事を始め、最初は週に2日程度と言う話だったのに、私が店を閉めるための午前2時までの勤務にも文句を言わず、祝日(家族で集まる日らしいが、私にはまったく関係がない)の出勤も嫌がらないと分かると、すぐにそれが週に5日になり、多い時は7日全部と言うこともあった。

 雨風しのぐための小さな部屋で本を読み、友人に手紙を書くだけが楽しみの日々で、毎日が仕事で潰れたと言って文句を言う誰もいず、午前2時(時には3時)に仕事を終わらせてから、翌朝9時に出勤、そしてそのまま夜までと、3連勤と言う無茶もたまにあった。

 残念ながら、本職は小学校の教師であるオーナーの、セミプロの息子の酒癖と薬物中毒が原因でそのホールは人手に渡ってしまい、ホールの売り渡しに、従業員も含むとあったようだが、私はもうその時、人はいいが酒に飲まれて醜態を晒す彼らに付き合うのにうんざりしていて、彼らもまた、テーブルやキューや道具の扱いに口うるさく、接客につきものの可愛げと言うものがまったくない私が煙たかったらしく、新しいオーナー(彼らのひとりだった)は私が売却と同時に辞めると言うのを、形だけしか引き止めなかった。

 別の、飲酒も喫煙もしない、そして賭け事もしないオーナーのプールホールへ通い始め、そこでチームに入ったりトーナメントに参加したり、甲子園を目指す高校球児程度に真剣に、私は玉を突いた。

 あまりに真剣な選手のみ向けだったせいか(私にはありがたい環境だったが)、テーブル使用料だけで売り上げが振るわずに破産に追い込まれ、そしてそのホールよりも1年早く、私の以前の職場だったホールは、新オーナーと客たちが暴力沙汰でやり合って(双方ひどく酔っていた、と言う話を聞いた)、"迷惑な客たち"を出入り禁止にした結果客足がまったく途絶えてしまったと言う理由で、潰れていた。

 いつの間にか、街を歩くとよく見掛けた彼らはもうどこにもいず、他の街へ流れて行ったのかどうか、消息も知れない。

 幾人かは、まれに大会のテレビ中継で顔を見ることがあるが、今は完全に悪癖ときれいに手が切れていることを祈る。

 私は、ホールがふたつともなくなってしまった後、プールテーブルのあるバーへ通っていたりもしたが、真剣にやるには適切な場所も金もなく、そのままビリヤードから遠ざかってしまった。

 ホールのあった場所を通り過ぎるたび、賑やかだった頃を思い出す。困ったことも多かったが、それでも確かに楽しい日々だった。

 今も数本のキューは革のケースに入って手元にある。いつかまた使う時があるかもしれないと、そう思うことはやめられないままだ。

 古い試合をテレビで再放送で見掛け、毒蜘蛛とあだ名された元チャンピオンのキューさばきに見惚れて、そう言えばその言葉は喪服の未亡人と言う意味もあったと初めて思いついて、毒蜘蛛になれなかった私は、だが未亡人にはなってしまったと思った。

 キューの先が玉を突く、耳に突き刺さる、それでいて円い音に、私は目を細めて耳を澄ませる。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

不眠 (6/28)

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 眠い。また不眠の周期がやって来て、私はしばらく2時間以上まとめて眠っていない。

 眠気はあるのに、目を閉じていても眠りがやって来ることはなく、頭はちゃんと空っぽで、中に嵐があるわけでもないのに、私は眠りに落ちることができない。

 耳の奥に砂嵐があるのなら、これは薬が必要な不眠なのだと見当もつくが、私は驚くほど空白で真空で、体はリラックスしているし、睡魔さえやって来るなら数秒で眠りに落ちる自信がある。

 眠れない。

 軽い薬の助けを借りることもできるのだが、タイミングを誤ると朝まで眠れずに、午前も遅くなってから効いて来て、そして夜また眠れないと言う羽目になる。

 酒も同じだ。効けば4時間は眠れるのだが、運が悪いとまぶたに器具でもはめられたように目が冴えて、明るくなるまで眠れないままになる。

 私はもう長い間、4時間以上まとまった睡眠を取れたことがない。

 以前は、悪夢のせいだった。その後に頭の中に砂嵐が居着いてしまい、その後に脳の異常活性がやって来て、どれも時間の経過でゆるやかに落ち着きはしたのだが、不眠それ自体は完全に解消はされず、せめて6時間寝たいと、誰にも言わずに心の中でだけ思っている。

 今夜は少し疲れていて、酒でも飲むかと考えているところだ。

 睡眠薬代わりの酒はあまり良いことではないのだが、習慣にさえしなければと自分を甘やかして、せめて夜明けの手前までは眠っていられるだろうかと、冷蔵庫の中の白ワインに今心を馳せている。

 眠い。ちゃんと眠気はある。それなのに眠れない。

 少しばかり込み入った案件は片付いたのだから、何も不安になる必要はないのに、それなのに私は眠れない。

 水を飲むグラスに注いだ白ワインを、ちびりちびり飲んで、飲み終わったらベッドへ行こう。3時間眠れますように、神様、とどこへともなく祈りながら。

 お休みなさい。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

6/27

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 誰かと、何かを"一緒に"やるのが好きだ。

 別に顔突き合わせて、同じテーブルで作業をすると言うわけではないが、誰かと何かを一緒にやるのが私はとても好きだ。

 事前に、一緒にやろうと話し合いをすることもあるし、誰かが書いたものに仕掛ける形のこともある。仕掛け合って、意図せず連作の形になって、自分が思いもしなかった方向へ心地好く進んで行くのを、眺めているのも好きだ。

 先を決めずに、順番に数人で書き継いでゆく、いわゆるリレーと言うのも何度もやった。結末は常に柔らかく押し付け合うことになるが、少なくとも私は、誰がどのように書いたどの結末も最初から決まっていたことのように、これしかない1話だと感じながら読んだ。

 絵を見せられ、そこから何か書くこともよくある。挿絵とも、字だけのリレーとも違う、それもまたとても楽しい。

 書 / 描くことは基本的に孤独な作業だから、孤独でない時があるその非日常性が、私はとても好きだ。

 誰かに、一緒にやろうよと声を掛けるのは、正直とても難しい。そんな気分ではないかもしれないし、自分とはやりたくないかもしれないし、誰かと何かをやるのが好きではないかもしれない。

 結局自然発生(と言いながら、私が勝手に発生させることが多々あるのだが)を待つのがいちばんと言うことになる。

 誰かと関わることで、その時だけで終わるにせよその後も続くにせよ、少なくとも私自身には私自身の変化が感じられて、実際に脳に回る酸素の量が増えているのが分かる。

 私だけの手前勝手だが、だから私は、そうやって誰かと関わるのが好きだ。

 今日はここまで。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

トリガーハッピー

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 鯉にチョコレートをやったことがある。丸くて平べったい、砂糖で薄くコーティングしてあるやつだ。

 その頃まだ小さかった僕はただ、自分の好きなチョコレートを、池の鯉が食べてくれるのか知りたかった。

 鯉は白かったり紅かったり、黒く黄色くびかびかと輝いていたりして、人造池の底は暗い岩だった。そんなところに青だの紫だののチョコレートをぽとん、ぽとんと一粒ずつ落として、鯉がそれを飲み込んでしばらくしてやっぱり吐いてしまうのをずっと見ていた。


 僕が今こうしてキーボードを叩いているのも似たような行動なのかもしれない。

 数珠つなぎになった脈絡のない思考を、吐くだけのために撃ち出す。それが他の誰かに当たるか当たらないかは気にしないふりをして、でもその誰かがそれを受け取ってくれることをどこかで祈りながら、ピエロが万国旗を吐き続けて止まらなくなるように、僕はキーを叩き、マウスを振り回す。

 残弾のカウンターも気にせずキーを底まで押し込み続ける僕はずっと前からゲームの中のパイロットで、ふるふると揺れて沈むチョコレートを見る僕は今でもやっぱりピエロだ。

 

 曳光弾の軌跡を眺めながら、キーを打ち続ける。僕の頬に涙はあるだろうか。

投稿者 uqb5z7 | 返信 (0)

朝の顔 (6/21)

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 朝のバス停で、何となく挨拶する人がいた。

 会釈だけをしていた私に、おはようございますと声に出して返し、翌日から私は、その人におはようございますと言うようになった。


 必ず会うわけではなかった。会わない日にはどうしたかなと、何となく思うようになった。


 その人は他の人にもおはようございますと言い、私にだけ声を掛けるわけではなかったが、その人の声を通して、バスを待つ私たちは何となく繋がり、不思議な事にその人がいなければその他の私たちはまったく赤の他人同士の表情(かお)で、視線すら交わしもしない。


 挨拶以上の言葉を交わすわけではなかった。おはようございますと言ってそれきり、後は黙ってバスを待つ。

 ここでバスを待つなら、住んでいるのは近くだろうし、バスを使うなら車を持っていないか免許を持っていないか、あるいは事情があってそれらを使うことができないのか、もちろん不躾にそんなことを訊くこともできず、私はただその人のことを想像した。

 ひとり暮らしだろうかと、何となく考えて、だが歯切れのいい挨拶の響きは、人と交わるのに特に問題があるようにも思えず、きっと家族がいるのだろうと続けて考える。

 散歩の犬が通り掛かれば必ず笑みと視線を投げていたし、バス停の途中の家の前に猫の姿があれば、それにもおはようと言っているのが口元の動きで分かったから、どうやら動物好きらしいと察しられた。


 同じ程度に、人間も好きな人なのだろう。他人とは距離を取り、人と親しくなるのにひどく時間の掛かる私は、バスを待ちながら漫然と考えている。

 こんな私だからこそ、無礼と思われないように、会釈と挨拶は欠かさない。笑顔で挨拶をしている限りは、人はその人物を危険とは見做さないものだ。

 私は危険人物ではないが、厄介者と思われ面倒に見舞われることは避けたい程度に、人が苦手で俗人なのだ。


 その人はそうではなく、ごく普通に、人当たりの良い、真っ当な人に見えた。

 誰にでも優しい人なのだろう。犬や猫にも、きちんと優しい人なのだろう。

 その人の声は、私の朝をいつも明るくしてくれた。その人に返すために、私はきちんと声を出して微笑まなければならなかったから、鬱陶しい夢で頭の重い日も、バス停に向かう間に背筋は伸びて、その人がおはようございますと私に声を掛けるまでには、私の気持ちはすっかり平常になっている。


 いや違う、私の平常は仏頂面の、何に対しても瞳すら動かさない怠け者なのだから、その人に会う時には、私はむしろ上機嫌と言うべきなのだろう。

 おはようございますとその人が言い、私の朝はそれで上等の朝に変わる。

 顔に出すかどうかはともかく、私は良い気分で1日を過ごし、またバスに乗って帰宅する。


 その人が、姿を消した。

 前触れはなく、せいぜい2日続けて姿を見ない以前と違って、それはもう何週間にもなっている。

 私たちはむっつりと黙ってバスを待ち、暑さや寒さや雨にしかめ面を浮かべ、自分以外がすべて人殺しか強盗と思い決めた風に互いを見て、その人を欠いた私たちは、同じバス停で同じバスを待つだけの間柄になってしまった。


 また戻って来るだろうかと、バスを待ちながら、私はいつも辺りを見回している。

 バスの時間を変えたのかもしれない。引っ越したのかもしれない。仕事が変わったのかもしれない。車を手に入れたのか、免許を取り返したのか、もうバスに乗る必要がなくなったのかもしれない。

 おはようございますと言う、その何の変哲もないごく普通の挨拶で、その人は私(たち)の朝を変えた。その人に変えられた朝は、残念ながらその人なしでは続かないようだった。


 近頃、人へ挨拶する時の私の笑顔は、以前以上にいっそう不自然な気がする。

 歯切れの良い発音を何とか思い出しながら真似て、私は誰に対しても何に対しても害意はないのだと、そう示そうとして、それが以前以上に上手く行かずに、ほんとうに逃げ回って隠れ住んでいる犯罪者のような気分に陥っている。


 あの朝が、私にはとても大事だったのだ。


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投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

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