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浴衣と温暖化 |
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think |
花火大会のシーズンで浴衣を着ている女性をたくさん見かけるけど、みんなメッチャ暑そうにしてる。
浴衣という衣服が作られた時代には、ビルの照り返しやコンクリートの蓄熱なんていうものはなくて、
つまりヒートアイランドなんていう現象は存在しなかったから、夕方になればそれなり涼しくなったんだと思う。
そういう時代だったら通気性に優れた浴衣で充分快適に過ごせたんだろうけど、現代はそうはいかない。
ヒートアイランド現象に加えてそもそもの地球温暖化、人口過密による密着度(花火大会なんて特に)によって、
体感する暑さは浴衣が快適だった時代の何倍にもなっているはず。
浴衣は風情があって大好きだけど、残念ながらこれも時代にマッチしない衣服になってきてる。
「浴衣を着ると暑い」なんて本来矛盾した話。温暖化が本気で恐い時代になってきたなぁ。
ビジネスマンと温暖化 |
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think |
このくそ暑い夏場になぜ男たちはスーツなんぞを着込まなければいけないのかという話を
同僚の女性社員としていたところ、女性社員から「そんなのまだ甘い」と言われた。
なぜかと聞くと、女性はどんなに汗をかいてもメイクを気にして顔を洗えないとのことだった。
メイク直しなんかした日には、トイレに1時間はこもらなきゃならないって。
そうか。それはその通りだ。ビジネスウーマンの方が夏場は大変なのだ。
そう考えると夏場にスーツを着るのも我慢できる気がする。
ただ、不必要に暑い環境下では仕事の能率が落ちるわけで、
汗かいてプレゼンしてても思考回路鈍るし、社に戻っても汗が引くまで仕事にならない。
風が吹けば桶屋が儲かるじゃないけど、
夏場のフォーマルスタイルを根本から変えたら経済が潤うのでは?
例えば、7~9月の期間だけは襟付きの服であればノージャケットでOKとかさ。
確実に社会のルールと地球環境がマッチしてないよ。
ウェブマイノリティ宣言 -多数派にsa.yona.la- |
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WebMinority |
もう完全に自分の考えていた事そのままのサービスなので早速使ってみた。
■小中高と自分は少数派だった。
だから多数派の価値観がよく理解できなかったし、
多数派の文化や流行に距離を置いていたし、
多数派に嫌悪感や優越感や劣等感を抱いていたし、趣味も偏っていた。
そしてだからこそネットを始めた。
始めた頃のネットは少数派の世界に見えた。
多数派の価値観に支配されないその世界はとても自由に見えた。
多数派の価値基準で、自分を評価されない、
自分の価値を、そして自分という在り方を自分の基準で決められる、
そういう精神的に自由な世界だった。
■だから今のウェブが好きになれない。
そもそももはや誰もがウェブを使うようになっている。
ウェブは多数派の所有物になってしまっている。
その上もう一つ好きになれない理由がある。
Web2.0 SNS YouTube ニコニコ動画 ソーシャルブックマーク
自己表現 自己満足 自己実現
なんでもいい、そういう今のウェブの風潮、流行が好きになれない。
なぜならそれら全てが、
他人と交流し、他人に評価され、他人に向けて表現を行う
そんな事をドグマとして要求されるからだ。
そしてそんなドグマが、オンリーワンを目指す多数派への呼び水にもなってしまった。
■現実世界に「存在する」為にははただそこに居ればよかった。
別に自分の内面を表現する必要なんてなかった。
自分を表現し、自分を見つめるのは、自分だけでよかった。
「ウェブを行う」「ウェブに存在する」とは、双方向性がWeb2.0と言われる中でイデオロギーのように重視されてしまえば、もはやただの「見るだけ」では存在する事にはして貰えない。
言葉でも絵でも動画でも声でも、何にしても表現しなければいけないし、
他人からそれを評価されてしまうし、
他人と交流しなければならない。
つまり今、ウェブに「存在する」には、否応無く表現し評価され交流しなければならない。
つまり、多数派の価値観に合うように表現し、多数派の価値観で評価され、多数派の価値観に従って多数派と交流しなければならない。
■つまり自分という存在価値が、多数派によって100%決められてしまっている。
■つまり自分という存在の、「存在方法」が多数派のメソッドでしか許されていない。
■つまり「自分」が、多数派になってしまう。
■存在する為には表現しなければならない
■表現をすると評価されてしまう