発想
豆腐一丁なら6秒で食べれる |
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Vine6秒動画 Vine6秒発想 |
6秒で歯を磨くのはちょっとムリ。 6秒に収まるかどうか。 その限界と可能性。 こうゆうのVine 発想。
・ アクションだと歩き出して、 イチ ニー ジャッンプ !! シー ゴー ズルッ !!、 6ステップ6秒、とか。
・ 音フレーズだと 3秒 3秒に分けた 6秒ジングル。 リズムだと、タン タン タタ タン タタ タタ タン、 6回の拍子 6秒。
・ 対話 : 赤ちゃんどうしの対話の動画あったけど、 タァタァタァ タァ タァーー と、テェテ テェテ テェーー、 の3秒 3秒の対話。
・ 2秒アクション 2秒の間 2秒シャウト、の2秒の間を生かした6秒。 2秒の間のところで、驚いた、切れた、落胆した、などの内面の変化。 細かい 序 破 急 もの。
IoT の入り口はコメント欄にスタンプをペタッと張り付ける行為をすること |
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IoT 発想 |
考えればそうなる。 つまりはこの要領。 人の行為によって 「歩」 が 「金」 に成るようなイメージ。
● たとえば、人の行為 - ガジェット、で、人の行為 - 液晶表示のスマートウォッチ。
人が何かすることで スマートウォッチ内の 何か「歩」 が 何か「金」 に変わる、といった感じの発想。
人の行為があってはじめて、スマートウォッチとウェブ、スマートウォッチとスマートウォッチの物のインターネットが価値をもってくる。 物のインターネットを価値あるものにしていく根本的な原動力は 「人の行為」。
それだから、IoTのために、物 対 人 の関係においての 「人の行為の研究」 が進んでいく。
● 言葉上なら 「動詞」。
人がスタンプ(スタンプ候補画像) を、
・ 貼りつけた
・ はがした
・ 束ねてまとめた
・ 広げて地図のようにした
これらの行為をすることで、どんな「歩」(候補) が どんな「金」 に変わるのか。 あるいはその逆。 逆の場合もふくめてそのへんのところを探っていく。
スタンプ候補が → 貼りつける行為で → 正スタンプに成る、の要領。 (最初からスタンプがあるのではない、あるのはスタンプ候補で、スタンプに成り切っていない画像が集められた場所(プール)にある画像)
http://x3ru9x.sa.yona.la/2866 |
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Reply 発想 |
んー、貝類や浜辺のモチーフのあの細部に昆虫や植物、浜辺の生き物(装飾) が散りばめられていて それらは実は生きている、と見立てると発想が逆転する。
細部の昆虫から入って建物全体に想像がめぐり、実はその昆虫や植物も建物の一部でそれらが壮大な建築物を支えている、という気づきに至る(観察ルート)。
こうゆうちょっとした見立てがアニメ画世界への入り口になるのではないか..と。
日本の古い民家のツバメの巣なんかもこうゆうものの一つと見ることができる。(巣は建物の一部、ただの巣じゃなくて)
こうゆう発想が昔から日本にあるものだから 日本人は細部にこだわる(のではないか)。
ジブリアニメなんかにもこうゆう発想があるように思う。 thanks.
追記 :
観察ルートを考えてから、謎を解き明かしたがっているキャラを立てる。(好奇心旺盛なキャラ)
先にキャラを立てて、このキャラに何をさせようか と考えるとつまづく。 だからこその背景画。
観察ルート = キャラ。 観察ルートが立たないとキャラも立たない。
追記 2 :
アニメ画世界とは おもにpixivでよく見かけるタイプの絵。(背景もきっちり描かれた絵)
(追記は自分用です)
仮面ライダーの細部が くどいぐらいの昆虫のデザイン |
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発想 |
この方向性。 この方向性でいくと 自然図鑑とも結びついてきて、興味を自然世界へと誘導できる。
巨神兵の細部がガウディー様式なら、仮面ライダーの細部は昆虫だ。
スケール感の違い、細部の様式..
日本人が細部にこだわる理由もこのへんにあったり。 いろいろな発想がその周辺にあって 面白いから自然にこだわる。
ガウディー建築は孵卵器、その中でエリアンの卵がかえって幼生がチュゥーチュ ゥー鳴き出す |
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発想 |
これはアメリカ人のイマジネーション。 あまり面白くない。 あっそ..、ぐらい。
巨神兵の細部がガウディー様式のアクセサリーみたいなもので出来ている。 この方がまだまし。
これは "見てみたい" がある。
このへんの発想の方向性..
ガウディー建築の様式で宇宙船のデザイン ってのはよくある (SF映画) |
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発想 |
エバみたいな巨神兵の表面(細部)をガウディー様式にしてもいい.. かな
対話セッションに名前をつける 1 (& シリーズall) |
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発想 アイデア メモ 対話セッション |
対話に名前がつけられているだろうか、もし付けられるとしたなら...。 今日の気付きはこれ。
facebook のポリシーは本名で活動することだという。 この本名の人同士が対話したセッションに名前が付けられる
として、それにつけられる名前は対話の本当のところを表す本名というべき呼称がつくだろうか。
いやいや それはわからない。 対話がクソであったらなら本名というブランドが劣化していく。
sa.yona.la の特徴といえば 抽象記号のID。 この抽象記号を割り振られた本名でないユーザーが対話したセッションに
名前が付けられるとして、個人名が抽象記号ID である分 常に対話セッションには本当の呼称がつけられる、としたならどうだろう。
はいはい これは十分そうであるとまずまず信用できる。 個人名が抽象記号ID であるから見栄を張ることなんて無意味だから。
この対話に名前をつける、というのが今日の気付き。
で、対話のセッションに名前をつけたり、対話集を編集したりする人、それがモデレーターでありキュレーターではないか。
(個人をヒゥーチャーするとかじゃなく)
去年、アメリカのソーシャルQ&A サイトが話題になった。 Q&A というのは対話という点から見れば、やりとりを括って一つのセッションと見なせる好都合な形式。 このへんの方向性が今年出てくるのではないか。
そう、Q&A サイトの再発見。 なてなQ&A なんかもうまく再編集 再利用できる方法があるのでは ?
今年の発想の種一つ。 今年 いの一番 "対話" が来ました。