民族
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なんだか壮大なタイトルをつけてしまったw
会社帰りに休憩室で話し込んでるうちに深い話になってしまった。
興味がある事なので残しておこう。
○戦争について
やっぱり戦争は扱いにくい問題だ。いけない事だとは思う。
但し、全否定出来る事ではない。
なぜなら戦争とは「人間が動物として相手と交渉する手段」だと思うから。
一般的に「知性」と呼ばれる道具すら駆使し、それでも原始的な「暴力」という
形で相手を屈服させ、交渉を進める。という外交カードの一つなのだ。
個人的な考えなので、批判はあるかもしれない。けど自然界では良く行われていることだ。
人間は知恵と理性を有している以上、この手段を最低な行為だと認識している。
しかし、人間が持っている利己欲やその利己欲で行動を起こした民族によって、
自民族が危機に瀕するとき人は戦争を起こす。…のだと思う。
※聞いた話だが「人間としての最低の行為は殺人では無く、相手の文化を消滅させること」という主張があるらしい。
利己欲は人間が持っていて当たり前の感情なので、理性で抑える事はできても
こいつを滅する事は聖人君子や博愛主義の究極者くらいしか出来ないのではないかと。
…ふとこうして考えてみると、人間がなぜ悩むのかもなんとなく分かる気がする。
文明社会に生きている今、ひたすら本能を抑え続けているが故に悩み続けているのかもしれない。
○日本人の宗教観
上に書いた「戦争について」と関連した話。
日本が戦争に参加していた頃、今と比べて明らかに国民は「神」の存在を崇めていた。
対して、今の日本は「無宗教」などと言われる。
原因は戦後の教育によって排除されてしまった部分が強いはず。
「神」の存在を大々的に主張した戦争をしてしまったから。(例えば、・天皇の神聖視 ・神風特攻 ・etc…)
しかし、日本人には薄いかもしれないが、しかし確実に「神道」の考えを持っている。
先祖崇拝や山岳信仰、地方に行けば未だ土地に由来する神に対する祭りが残っている。
「えー、そんなことなーい」なんていうあなたも初詣といえばどこを思い浮かべますか?
大抵の人は神の社…「神社」を思い浮かべるはずです。
こうした形で日本人は神に対する意識(畏怖の念)を持っているのではないかと思う。
しかし意識がしづらいのは日本には神が沢山いるからなのだ。「八百万の神」なんて言われるように。
「いただきます」「ごちそうさま」、「お墓参り」、「御来光を望む為に富士山登頂」、「豊年祭」
全部別の神様に対する、感謝や畏怖の念から起こる行動だと思う。
そして何気なく染み付いているのだ。「神道」という宗教が「日本の文化」に。
なんでこんな考えになったかというと、つい最近鎌倉に出向いたときの事だ。
今まで自分自身も「無宗教」な人間だ。と思っていたのだが、建長寺という寺で
地蔵菩薩の御本尊を目にした時、合掌一礼を行った。
なんで合掌一礼したのか?と寺を歩いている間考えていたが
一つは「自然」に、一つは「畏れ」からであった。神様じゃなくて仏様じゃないか!
という突っ込みがあるかもしれないw しかし日本人は困ったときによく言うじゃないか「神様、仏様…」
神も仏も他の存在も全て包括して「八百万の神」なんていう風に呼んでいるのが日本の宗教観なのだと思う。
○民族について
日本人に限らない、他の民族の宗教観とか文化についても少し話した。
宗教観で言えば、今一番興味を引かれる宗教由来の場所がある。
イスラエルの首都「エルサレム」だ。ご存知の方が多いだろうが
エルサレムは「キリスト教」「イスラム教」そして二つの源になった「ユダヤ教」という
3大宗教の聖地なのだ。