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学問

論文

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自分は学者ではない。あくまで素人の学徒でしかない。

だが学術論文を目にする事の多いせいか、そこら辺に対して思う事がある。


言葉とは相互理解と物事の定義の為に用いられる。

だからある言葉はお互いがその意味を共有している必要がある。


特に学術論文となるとそこには正確性が求められるので、ある「言葉」の意味は極めて厳密なものになる。

そして学者は皆、そうした厳密な言葉で、自分の考える世の真理を説明している。


だが本当にそんな「他人の言葉」でその人の考えを正確に伝えられるのだろうか。

もちろんそれを正確に伝えるのが学者の力量であると言われればそうかもしれないが、

そもそも言葉が完全に事物を表象しきれるかというとそれは不可能だ。

そんな厳密だけれど不完全な言葉で自分の思考を表象できるのかといえば、それはまず無理と言って良い。

言葉というのはニュアンスの問題がある。

例え口語的でいい加減な表現でも人と人の間では理解が出来る。

むしろ自分の考えは自分の言葉で伝える方が、相手に正確に伝わると感じる事が多い。


相互理解を完璧にしようとして、厳密な言葉で自分の考えを語ろうとすると、かえって取りこぼしが生じてしまうというのは、ある種の皮肉なのかもしれない。


そしてウェブもまた、他人の言葉で他人に受け入れられる事を言う人間だけが、「価値のある人間」だとされる。

もちろんその事を完全に否定するつもりはない。

けれど、自分の言葉で自分の考えを純粋に伝える人間を「価値がない」と言われれば、それはおかしいと思う。


「他人の言葉で自分を語るな」

とあるアニメからの受け売りだが、Web2.0と言われるウェブの中で、自分の言葉で自分を語っている人間は、それほど注目を浴びていない。


それでも自分は、自分がここにいるから、自分の言葉で自分の存在を示す。

投稿者 g9e8mk | 返信 (1)

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