ソーシャル
ソーシャルにおいては、いい人を選ぼうとするから 選ばれる方になると競争にさらされる |
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雑感 ソーシャル |
ゆるいつながりと思いきや、結構 きびしいものがあったりする。
まぁしかし、それはそれ、きびしくなるか ならないかは成行きしだい...
‘【解説】LINE国内3000万人超えが意味すること【湯川】’ |
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ニュース 雑感 ソーシャル |
読んだ。
ソーシャル化が進んでいるのは感覚的にわかる。
漠然とした想定読者や想定閲覧者を考えるより、はっきりと "だれ who" を示して その人といい関係を築いていく方が 前に進んでいく感じがする。
デビアントストックでモデルになりたがっている人をモデルにして その人といい関係を築くのも ソーシャル的な活動だろう。
Pixivで漠然とした想定閲覧者をイメージするより、デビアントでモデルの人(ストック提供者)といい関係を築いた方がソーシャル的には価値がある。 (つながりの価値。お互い確実に見込み客になった という価値)
(ストック提供者は自分の写真がどう使われたかを見るので、最低一人の まじまじと画像を見る閲覧者がいる)
モデルの人といい関係を築くためには、その他のグラフィッカーと区別される個性的なスタイルでないといけないけど。 他のグラフィッカーと同じようでは埋没してしまう。 そこには隠れた切磋琢磨がある。 結構 きびしい。
Instagram がFacebook に買収されるらしい |
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ニュース ソーシャル |
考えてみれば、写真は撮る人と撮られる人の間で制作されるもの。
(つながりの中で制作される。風景写真は別として)
目の前の人をカメラで撮れば、撮られた人はその写真を見たがる。 そこだけ見てもメッセージは誰かから誰かに送られる。(写真はソーシャル向きだ) (プリントアウトサービスなんかが付けばお金もFB上で動く)
Instagram の正方形写真はタイムラインにマッチしそうだし。 タイムラインにニュアンスが加わり、お洒落にもなる。(写真しだいか..)
Facebook はあのタイムラインを充実させようとしているのだろう、全面切り替えに向けて。
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あのタイムラインは いい写真が入らないと お洒落に見えない。 へたな写真が並んでいると、ウエッちゅう感じになる。
そうなると タイムラインはその人のカメラのヘタさやセンスのなさをアピールするものになって関係性の付加価値は高まらない。 (あのタイムラインはよく出来ているからへたなものを並べると その効果が上がってしまう(ごまかせない))
写真をよく見せる工夫は前々から必要だった。 (よく見せるというか写真の個性化)
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そもそも写真は個性化するのが難しい。
それだかこそソーシャル絡みの写真には可能性がある。 どうやって写真にその人なりのテイストを付けて個性化するか。 (個性化すればソーシャルの中でその人を特定しやすくなる)
ソーシャル参加者の個性化はつながりの付加価値を高める。
ヘタな写真を撮る人二人がつながってもつながりの付加価値は高まらない。
写真のうまい人ときれいなモデルさんがつながればつながりの付加価値は高まる。
お店とウェブ |
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facebook ソーシャル お店 |
飲食業界とウェブ業界の接近は面白い。
お店が目的化(雰囲気や料理を楽しむ) すれば、ウェブは手段。
お店が手段・道具(時間を節約する) となれば、ウェブは目的(ウェブでゲームをする、ウェブでアニメを見る)。
と、役割交代する関係性の中でお互いが発展する。
お店の店内では料理を楽しんでもらって、店舗裏方では贈答用詰め合わせを発送する、ということをすれば お客に目的と道具の2つの面で利用してもらえる。 ウェブサイトの方は道具、店舗の方は目的。
この関係性を ちょっと引いたところから見て面白く表現できないか... 一応 メモ。
追記 :
料理・お店 の漫画と言えば 『美味しんぼ』。 あの連載が始まったのは1983年、まだウェブもフラッシュマーケもない。
あの漫画に今のソーシャルとかスマホ、フラッシュマーケ、位置情報、なんかを盛り込んでも面白い。(飲食業界とウェブ業界の絡み合い)
(ネタの種としてキープ)
コミュニケーション空間 |
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ソーシャル |
ウェブがソーシャル化するにつれ 個人ブログがストックになっていく。 そりゃそうだろう。 ブログはコミュニケーション空間を演出するようなツールじゃない。
J コミのような漫画サイトも漫画を流し読みするだけで コミュニケーションは活発じゃない。 漫画ビューアーにいろいろ工夫はしてあるけど。
やっぱり、ツイッターやfacebook、mixi になる。 コミュニケーション空間の演出や 気軽なやり取りの空気の醸成においてはソーシャルの方に分がある。
コミュニケーションといえばインタラクション。(逆か、逆も) 何も対話(コメントand コメント返し) だけということじゃない。(音楽ファイルでDJ部屋サービスというのもあった)
pixiv はどうも中途半端。(コミュニケーションという観点で見たなら) 一枚絵でコミュニケーションが促進されるということは そんなにない。(タグづけでの片方コミュニケーションはいいアイデアだけど)
それでも、そんなに難しく考える必要もない。 車の中というだけでもいい。 たとえば、下の動画を背景画として設定し その手前(車内)で、車外の風景や、今乗っている車(この車はプリウス) について語れば それがそのままコミュニケーション空間になる。 要領としてはそうゆう感じじゃなかろうか。
コミュニケーションを創出し、促進させ、それを継続していくにはどうしたらいいか。 ウェブのソーシャル化にともなってストックやログ、お勧め記事 ではないサービスの方向性がクリアーになってきた。(facebook の決済システムが動き出したこともあるし)
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上のゲームはもちろんもっとスピードが出せる(150kmとか)。 そうゆうモードだけじゃなく、40km 50km のときはソーシャルコミュニケーションモードにもなるといったような付加サービスづけ。
低速だとコミュニケーションモードで、高速だとオンライン対戦(もしくはタイムアタック) モード。 そうすると45km も意味のあるスピードになる。 あるいは、観光バスという車種を用意しておいて、それを選択するとガイドさんと観光客が乗り込んできて ガイドさんや観光客と対話モードになる、といったようなオプション。(通常道路になって45km走行。ガイドさんのガイドも聞ける)(下、参考)
‘電通とFacebookが業務提携【湯川】’ |
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雑感 ソーシャル |
facebook って "変わらないもので変える" という戦略があるように思えてしょうがない。
ウェブのどこかを少しでも変わらないもので変えてしまえば その後はなかなか変わらない。 facebook はマイクロソフトとも組んでいて、マイクロソフトの "変わらないもの" とfacebook を組合わせることで従来のウェブを少しでも変えてしまえば その後はもう変わらない ってことになる。 電通にしてもそうだろう。 電通とfacebook が組むことでウェブのどこかを少しでも変えてしまえば そのあとは変わらない。
そして多くの人は、実は変わらないものを求めていたりする。 行き急ぐよう変化や進歩を追っている人のすぐ後ろにはfacebook という巨人が迫ってきている。 巨人の武器とは "変わらないもの" だろう。
windows も変わらないしキューピーマヨネーズも変わらない。 味の素も変わらなければ かっぱえびせんも変わらない。
そうゆうものとfacebook(いわゆるソーシャル mixiも) を組み合わせることで従来のウェブのどこかを変えることができたなら 後は変わらない。 そしてユーザーは安心を得る。 つまりはそうゆうこと。
ソーシャルの落としどころは "安心" 。 facebook は基本に忠実に動いているだけ。 変化や進歩に目が行きがちな人はこれに負けてしまう。
.. |
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ソーシャル facebook |
facebook ファンページの方だとflash もアップできるみたい。 facebook 独自のマークアップランゲージを使って。
こうゆう感じのML
<fb:swf
swfbgcolor="000000"
imgstyle="border-width:3px; border-color:white;"
swfsrc='swfのURL'
imgsrc='キャプチャ画像のURL'
width='520' height='520' />
どうやら、今年の新年度あたりからfacebook が来そうな感じ。(ってもう来てるか)
ファンページの方を充実させようと思ったら、かなり打ち込まないといけない。 代行業が出てくるのもわかる。
‘大阪でループス斎藤さんとソーシャルを語り尽くします【湯川】’ |
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ソーシャル |
神戸の人はパーティーを開くのがうまい。 しょっちゅう何かで集まってる印象がある。 神戸には週末パーティー文化が確実にある。
このへんの地域文化を考慮しながらソーシャルを語ると当たると思う。 神戸のパーティー文化と京都の観光文化にソーシャルを絡めるとローカルソーシャルとなって、よりソーシャルの特性が生かされる。
ローカルに枝葉を広げて、そこで特徴をもった領域を作る戦略をとった方がいいのではないか。 そのためには地域をもっとよく知る必要がある。
地域研究、地域擬人化。 地域擬人化もこうゆう目で見るとソーシャルにつながってきて面白い。
神戸のパーティー好きおしゃれパーティーっ子タン、とか。
画廊だったら大阪より神戸。 画廊オーナーには女性を立てて、画廊が開くパーティーはその女性が催すようにする。 そうすると必ず人が集まり絵がレンタルされる。 神戸の女性画廊オーナーは、ソーシャルとキュレーションをすでに実践していると思う。(一度そうゆうパーティーに行ったことがある。ハイソかというと そうでもなくて庶民的だった。参加者に針医の人がいてターゲットだなと思った。)
絵を部屋や事務所に飾りませんか、という宣伝や営業はやってない。 そのかわり、パーティーを開いて食べさせて連絡を取り合える仲になるというソーシャル活動はやっている。 神戸の人は昔からそうゆうことをやっていて、もともとソーシャルの土壌がある。 同じ関西人でも、大阪の人は神戸の人がどうやってパーティーのための連絡を取り合ってるのかがわからない。
ツイート 時間管理 表現 |
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ソーシャル |
リアル、クローズド、ソーシャル、が進むと同時にアテンションエコノミーの意識も進んでいる。
時間管理、時間を有意義に過ごしたい、の意識が高まっている。
また、自分のステータスを示すことと時間を管理することとは繋がっている。(先のエントリー参照)
さらに、自分のステータスを示すことは表現活動に繋がってくる。
生活の中での営みの切り替えポイント(節)、まさにそこがポイント。 通勤時間から会社到着の切り替え、会社到着から仕事始め の切り替え、飯から風呂、風呂からテレビ、テレビから布団の中、切り替えポイントは結構たくさんある。 そここそ着目すべきところ。
そのポイントには 心理、感情、感覚のニュアンス がある。 誰かに促されてしぶしぶ次の事に移ったり、何かの条件があって残念な思いとともに次ぎの事に移ったり、焦りがあったり、ワクワクがあったり と実に人間味に溢れている。 どうしてそのポイントでツイートしなのか というくらい表現の対象となるもののバリエーションが豊かだ。
試合の前ではみんな平等 |
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サッカー 雑感 ソーシャル |
サッカーの試合の本当のところは、ピッチの中で戦った選手たちと監督にしかわからない。
ピッチ内の激突を体感していないそれ以外の人たちは、その試合の前においてはみんな平等。
詳しい、詳しくない、の違いはあれど同じ地平で語り合える。 そして語られたことすべては かわいい参考意見。
今仮に、この参考意見を集約して集合知を出したとする。 そしてこの集合知を全員の前に置いてみる。(情報を人間より先に立てる) 集合知の前ではみんな平等か? というと そうじゃない。 その中には試合の本当を知る選手らが含まれるから平等は成り立たない。(選手を除外すれば平等) そして ずるいやつは、平等が成り立たないその隙間に割り込んでくる。 (選手やサッカー関係者を頂点とした序列をつくろうする)
参考意見を集約した集合知なんて必要もない。 個別の意見が個別のまま 数多く交わされる方が明るい。
ポータルよさらば。 ソーシャル いらっしゃい。 ポータルによる参考意見の集合知.. はぁ~ だ。
ソーシャルがフラットなのには意味がある。 メッセージを送るのに躊躇しなくなり、コミュニケーションが活発になる。
このことの裏には平等という意識が隠れている。 ソーシャルから堅苦しい言葉を掘り出すなら、自由と平等。
発言機会の平等と発言内容の自由。 ただし、それは何か普遍的なもの(花の美とか) や個人を超えた(地球規模な) ことの前において。 (だからソーシャルは常に普遍的な対象を求めていると言える。それがシェアの意味合いなのかも)
ID と プライバシー |
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雑感 ソーシャル |
地球上の人が一日中同じところにいて動かないのなら場所をID代わりにできる。
しかし人は動く。 だったら 動きをトラッキングして動いた経路もつけてIDにしたらいいじゃないか。
ところが、動いた経路はその人のプライバシーに関わる。
本名には肩書きもつく。 肩書きのついた本名をもって名前(ID) としてくれ、という人もいる。(同姓同名もあるので)
しかし肩書きは変わる。 だったら肩書きの変遷をトラッキングして変遷を含めてIDにしたらいいじゃないか。
ところが、肩書きの変わり様はその人のプライバシーに関わる。(課長から係長に降ろされていたなら何かあった、みたいな)
ここでID問題とプライバシー問題が粘着する。
情報が溢れていて しかも変化もしている中で、その人を唯一固有の人として区別できるよう命名(ID振りつけ) するためには プライバシーに触れざるをえない。
クローズド感 3 |
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ソーシャル |
クローズドなところに "大人のいやらしさ" が加わると クローズドがすごく機能する。
リアル、クローズドにおいての本音なんて多くの人はもうピンッときて わかっている。(その いやらしさを)
しかし、そこに陥ってしまっちゃーダメだ。 自分を動機付かせる有意義な舞台装置として使わないと。
やっぱり、どう考えても往復運動だわ。
スポーツじゃないけど、感覚を動かして感覚の新陳代謝をよくする、ということかも。
いや もうこれ、感覚のスポーツと捕らえた方がいいかもしれない..
そうなると最低条件として、そのクローズドリージョンが感覚に引っかからないといけない、がある。
自分の感覚に引っかからずにスルッとスルーしてしまうものでは装置の働きようがない。