「世界最小・最軽量」 |
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思考の泡 |
これ、日本語のコピーとしては極めて優秀じゃないかと思う。
・説得力がある
・スペックとして、日本人はそういうのが好き
・コピーとして、むだなことを一切言ってない
・七五調っぽくて収まりがいい
実は最後のが地味にでかいんじゃないかと思うんだけどどうでしょう。
なんだかんだでそこかよって話。
道の上 1 |
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itext 道 |
私たちは、葡萄畑の間を歩いていた。
それ以外は青い空しかない真っ直ぐな、歩道などない道を、時々通る車を気にしながら、私は彼の背中を見つめ、彼は振り返って私がそこにいるか気にしながら、私たちは、夏の日、そうして一緒に歩いていた。
私が初めてまともに彼を見たのは、大学のジムのプールでだった。
学生証を見せてタオルを受け取る受付でたまたま一緒になり、彼は男子用更衣室へ、私は女子用更衣室へ、右と左に別れ、着替えは女性の方が時間が掛かるものだから、私がプールサイドへ出た時には彼はすでに一番右端のレーンで泳ぎ始めていて、私は一番左端のレーンへ静かに入り、他のことなど目も入れずにすぐに泳ぎ始めた。
私たちはふたりとも眼鏡を掛けていて、だから私がひと息ついた時に、上から私に声を掛けて来たのが彼だとは、すぐには気づかなかった。
私は彼の顔がよく見えず、おまけに眼鏡のない顔をそもそも想像したこともなく、
「よく泳ぎに来るの?」
彼が、私と同じ英語修得のコースにいる学生で、母国語がスペイン語で、次はもう大学へ入学の許可されるいちばん最後のレベルのクラスでも上の方らしいと、私の彼に対する知識はその程度だった。
「毎日、2回。」
彼に通じるかどうか心配しながら、いちばん下のクラスにいる私は、彼へ向かって声を軽く張り上げた。
「ここでは初めて会うね。」
彼が微笑む。眼鏡のない彼の表情は、眼鏡のない私の目にはぼんやりとしか見えず、それでも笑顔が案外可愛らしい人だと、その時私は思った。
じゃあ、と彼が手を軽く上げて去ってゆく。儀礼的に私もそれに手を振り返し、私はまた水の中へ戻ってゆく。
ただ、それだけのことだった。
大学構内に入ると、図書館への入り口がある。一応の受付──人がいるのを見たことがない──が右の方にあり、その正面にはベンチやソファが並んで、学生たちはバスを待つ間、たいていそこへたむろっている。
壁際の、構内への入り口へ背を向ける位置の真四角のベンチが、私のお気に入りだった。
私は帰宅前のバス待ちの時間をよくここで過ごし、授業の合間に暇があれば、まず間違いなくここで本を読んでいる。読むのはもちろん私の母国語の本だ。あるいは、表紙を隠したこの国の子ども用の絵本だ。
プールに行くのは昼休みと放課後。1日2回。突然変わった環境で体を壊すことを恐れて、体力作りのためと言うことがひとつ、もうひとつは、学生ならただで使えると言うジムの温水プールが案外と豪華で、中学以来水泳から遠ざかっていた海の傍育ちの私は、川すら見かけないこの街で、単純に水の眺めに飢えていたのだ。
ろくにこの国の言葉も使えない私は、授業についてゆくのが精一杯で、言葉の違う友達を作ると言う余裕などなかったから、そうやってひとりの時間を過ごすことがほとんどだった。
同国人の学生とは、
「黒人の人って彼氏としてどう思う?」
だの、
「本って、教科書しか読んだことないから。」
とか、
「日本人がバナナってどういう意味?」
と台湾人の学生に真顔で訊いて絶句されると言う風に、一体何を話せばいいのか見当もつかないまま、こちらが戸惑う間に向こうから相手にされなくなると言う状態だった。
私はひとりには慣れていたし、うまく人と付き合えないことにもさして危機感はなく、学生たちにロビーと呼ばれていたその構内の受付前の場所で、周囲の会話で耳が拾った単語を辞書で引く、と言うことを合間にやりながら、いつもひとりで本を読んでいる変わり者として通っていた。
「これ、君が書いたんだよね。」
プールで聞いた声が、また上から降って来る。広いベンチの上に、靴を脱いで素足であぐらをかいていた私は、眉を寄せて声のする方へ顔を上げ、読書の邪魔をされた不快感を隠しもしない。
そういえば今のPCに入れてなかったっけと思い |
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探したけどPainterの箱が紛失。
押入れの奥か・・・
Re: http://gt7u9x.sa.yona.la/1077
やっぱり風鈴市とか風鈴祭りで買うのがお勧めかな |
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ガラス工房が近くにあると吹きガラス体験とかで自分の風鈴作れたり
100均でぐい飲み・花瓶とかを買ってきて作ったり
暑い中汗かいて作った後にその風鈴の音を聞くと、買った物とは一味違って良いものです
Re: >風鈴買ってこようかな
http://gt7u9x.sa.yona.la/1077 |
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いいですね、澄み切った音が綺麗
ネットでちょちょい、と買ってしまおうかと思って、けどやめておきました
なんかこういうの、季節ものは通販で買うと楽しみが減る気がして
ほどほど近くにそういう売ってるお店がありそうな小さな観光地があって、今年の夏ぐらいにふらっと行きたいなと思ってるので
その時にぶらぶらとお店で見てみようかと思います
窓を開けて過ごす日が少しでも増えたらいいな
ああああマジで英語だめだ |
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だから何で外国からメールくるんだよぉ
午前中が消えた
拙い英語でシンプルにハッキリと。
あと少しだ。
Re: 隔たり
http://q7ny3v.sa.yona.la/1393 |
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僕は海に来てイルカを探しているんだ、ときどき考えちゃうのは
「君も(同じように)僕がどうしてるのか考えるのかな」ていうこと。
人生の意味 |
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家族です、とか、子です、とか言う人がたまにいるけど、それは相当まずい状態なんじゃないか、と、ふと思った。
だってそれ言ったらそれは人じゃなくても生き物ってわりとみんなそうでしょう。ヒトかどうか以前の問題だし、だからこそ、逆にそこはとりあえずどうでもいい。いなきゃいないでいいし、そういう人がいてもいい。
そうじゃなくて「おまえがヒトである意味」という問いなんじゃないか。
んなもん、ない、ならそれでも全く問題ないと思うし、それ前提でいいと思う。
他にあればもうけものだし充実感あるだろうけど。
開き直る。
なんか、家族とか子孫とかいるのが前提で、そうでないのは半人前、みたいな人、いるよね。
あとウチの子が大好きすぎる人。
どうもうまく書けない。いいや。
嘘つき |
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itext |
君とかあなたとか誰それでなく、私と言う一人称で文章を書くと言うことは、書いたことすべてを肩に背負うことなのだと、私と言う一人称で文章を書き始めてから初めて悟った。
私は、と言う書き出しで書かれた文章は、読まれる時に、「これは"私"と言うこの実在する人物の考えること思うこと見ること経験したことすべてのはずだ」と前提されるのだと言うことに、私はこんな風に文章を書き始めるまで気づかなかった。
少なくとも私は、自分自身は自分の書く文章とはかけ離れていて、真実などひとつもないと真顔で言うことができる。私は下手くそな嘘つきで、下手な嘘を並べ立てて、例えば自分のこととは真逆を描写して外の世界を煙に巻いていると思い込める程度には愚かで、思うままをここに綴りながら、文章の最後に一体何を言うつもりだったのか覚えてすらいないお粗末さなど日常茶飯事だ。
私が例えば男女の恋を書いたからと言って、異性と恋愛中だとは限らないし、女性同士の片思いを書いたからと言って、私が同性愛者だとは限らない。私が死に掛けたことのある入院患者を描写したからと言って、私自身が事故にあった当人だとは限らない。もしかすると私が、その誰かを死に導きかけた加害者の方かもしれない。
私が書くことは私自身ではなく、そもそも私は、いつもは「私」ですらない。「私」と名乗る私は、こんな風な文章を綴る時に私が使う人格で、普段の私とはまったく違う人物だ。
「私」を自称する私は、実のところ、「私」とは名乗らない私自身を非常に混乱させる。普段の人称で世界を見ている私と、「私」と言う人称で世界を見ている私は、どこかでずれて存在している。「私」が見る世界と、「私」でない私が見る世界は、まったくの別物だ。
こうやって「私」として文章を綴り始めて、少しずつ「私」と「私」ではない私の間の溝は狭まりつつある。深さは変わらないように思えるが、少なくとも今では、ひと飛びで飛び越えられる程度の幅になったような気がする。
ごく自然に「私」と頭の中で自称する機会が増え、「私」として世界を見ている時間を自覚するようになり、「私」の見ている風景に、「私」ではない私ももはや慣れつつある。
私は、この「私」の存在への戸惑いを減らして、互いに歩み寄ったのかどうか、ほとんど触れられるくらいの距離に近づいて、だが顔を見合わせることはしない。目を合わせることはしない。「私」は「私」の見たいものを見て、「私」ではない私は自分眺めたいものを眺めるだけだ。
何の自覚もなく、ただそうしたい、そうしてみたいと言う欲求だけで私と言う一人称で文章を綴り始めた「私」は、それについては何の覚悟もなく、書き始めて初めて、「私」と言う一人称の意味深さに気づいた。
私は、「私」と言う一人称で書かれた文章に責任を持たなければならない。「これは私と言う人間についてのほんとうのことが書かれているはずだ」と言う暗黙の了解を引き受けなければならない。
それに対して私は、「自分は嘘つきだ」と言う返事を返すことにした。
「私」と名乗る私は私ではない。だから、「私」と名乗って書く私の文章は、何もかも徹頭徹尾嘘ばかりだ。下手であろうとなかろうと、「私」は大嘘つきだ。
こうして私は、「私」が書いたものに対する責任を放棄して、好き勝手な放言を続けることにする。私は、「私」が見たものや感じたことを、あるいはそうと思われることを、好き勝手に「私」として書き綴る。私は「私」ではないから、それがほんとうのことかどうかはわからない。
「私」の言うことには、真実は何ひとつない。少なくとも私にとって、「私」の書き綴ることはすべて嘘だ。
無責任で嘘つきで人でなしの「私」は、頭蓋骨の中や体の中にたまった膿を吐き出すために、嘘八百を並べ立てる。「私」にとっては書くことは呼吸と同様であり、書くことが嘘なら、「私」はつまり、「息をするように嘘をついている」ことになる。
「私」とはそういう人物だ。「私」は無責任の被膜の陰から、あれこれのことを書き綴って、外の世界へ流し出す。「私」の手から離れてしまったそれらは、元は「私」の一部であったが、離れてしまった後はまったくの別物だ。それは、「元私だったもの」でしかない。
「私」は嘘つきだ。「私」の言うことなど、何ひとつ信じられない。
「私」は考える。人の笑顔など信じられない。世界は欺瞞に満ちていて、生きることに価などしない。誰も彼も醜悪で、その心のうちを思い遣る必要などこれっぽっちもない。世界は一瞬でも早く滅びるべきだ。そして月曜日は、誰にとっても素晴らしい日に違いない。
あなたの月曜日はきっと、どうしようもなく気の滅入る、憂鬱なだけの日だろうが、そうに決まっているしそうであればいいと、「私」は考えている。
そして私は、どうか良い1日を、と声に出して言った。
持ち込みカラオケ - 女医ハック |
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手間のかかることを |
もう10年近く前から開発されてるらしい、持ち込みカラオケシステム。
音響のほうだけじゃなく、曲に合わせて歌詞なども表示するためのもの。
どこのご家庭にもよくあるMac/Windowsマシンをカラオケ屋に持ち込み、店内でWebサーバを立て、同一LAN(Bonjour)内のマシンやスマートフォン上のブラウザからログイン、曲を検索して予約、twitterアカウントでログインしていれば予約完了のメッセージも受け取り、自分が歌う番になったらかねて用意の歌詞データをこれまたかねて用意のタイムコードに沿って再生すれば、Wiiリモコンで画面内のサイリウムを振ったり、再生中の曲情報をFTPで外にぶん投げて曲目を自分のサイトに掲載したり、それをHTTPで受け取って手持ちの歌詞データを同期再生させたりできます。さあやってみましょう。という恐ろしいシステム。
女医ハックの楽しさは、カラオケボックスで「持ち込みカラオケ」をする、ところにしかないのです。ぜひ、ノートを手に、カラオケボックスに行ってください。そこで、自分の歌いたい曲を、自分で配信して、歌う。みんなが歌いたい曲を、みんなで配信して、歌う。
そこにこそ、女医ハックの存在意義があるのです。
Re: http://q7ny3v.sa.yona.la/1392
http://x3ru9x.sa.yona.la/2898 |
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Reply |
リンダ リンダァ ~ クゥゥゥ ーーー ッ
こういうPVないかな |
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YouTube 思考の泡 ばか |
曲の間中、三角が映ったiPadを持って、こっち向いてじーっとしてるの。
たまにiPadに何かほかのものがチラッと映るから、見てる方は気が抜けないの。
撮影中はスタッフが出演者を全力で笑かそうとしてるの。
出演者は耐えてるの。
以下蛇足。
いまこの投稿をiPhoneで見るとこうなります。
いろんな板を作らないと。

蛇足2。
PC上でウインドウをキャプチャして、確認して、閉じる時に、つい、被写体の方の閉じるボタンをクリックしてるのに気づいた時の虚しさね。
ショートカットで閉じりゃいいんですけども。
Re: もうゲームなんてしない