http://6v4ach.sa.yona.la/46 |
返信 |
アコギは俺みたいなド下手くそが弾いても生の良い音が鳴る素晴らしい楽器
http://gxvdg5.sa.yona.la/289 |
返信 |
会いたいです。
http://kx7ny3.sa.yona.la/13 |
返信 |
悩む |
自分が寂しいと思った時に限って、彼は仕事で忙しい。
毎回の事ではないけれども、そういう時に会えるのは10回に3回あれば良い方。
あんまりにもそういう事が多いので、どうせ仕事の方が大事だよねー。と思ってしまう。
「私と仕事、どっちが大事なの!?」と聞く女性の心理は「寂しい」だと聞いた事があるが、
実際思ってみると成る程納得。
しかし、自分も勤め人なので、仕事が大事なのは分かってる。
プライベートの事で仕事をおろそかにするのは良くないし、中途半端なことをして
周囲に迷惑をかけた上で信頼を失うとなれば、相当恐ろしい事だし。
冷静に考えると、私って間が悪いのだろうな。
さして忙しくないタイミングで寂しくなれば良いのにw
http://gxvdg5.sa.yona.la/288 |
返信 |
なんというか。
感情というものは。
一緒にいたい、という強い気持ちと。
それが許されない現実。
http://q7ny3v.sa.yona.la/1063 |
返信 |
みんなマヒしちゃったんだろうか。放射能キーキー言ってた頃の想定された事故のレベルから大分増してるぜ。仕事顔では投入義捐金が市場に流出するモード切り替わりを無視できず、帰宅すれば相変わらず改善されない非難生活、勝手に終結タテマエ自粛解除な主張に違和感、そして7年使ったデスクトップPCがお釈迦。
どうにもこうにも |
返信 |
愚痴 |
愚痴る事があり過ぎて、またここで吐き出す自分。
現職からの逃げ道には振られ、知人には余計な事を言われ、職場では自分のスキルを全否定される。
現職からの逃げ道は予想の範囲内だったけど、それなりにはショック。
結果は先週の木曜日に連絡があったんだけど、その時はすっかりここに書くのを忘れてた。
知人に余計な事を言われたってのは、職場の人に自分が「つぶやき」をやってる事をバラされた。
大した事をやってる訳じゃないけど、他人に勝手にバラされるのはやっぱり嫌だ。
最後に自分のスキル全否定。
つくづく今日わかったが、自分が一番自分らしい仕事をしようとすると、それは職場にはそぐわない。
かといって、言われた事だけをやると「何も考えていない」と言われる。
どうしろって言いたい。
大人げない話だが、いつか「じゃあ、今日で辞めます!」って啖呵を切って辞めそうな気がしないでもない…。
http://gt7u9x.sa.yona.la/625 |
返信 |
苦しいとき、大変なときにこそ親は子供の「悪口」を言っちゃいけない思ってる
叱るのも、突き放すのも必要かも知れないけど、悪口は
最後まで諦めないでとは言うけど、最後の線引きをしないと死ぬまで最後が来ない
だから私は子供をやめました
WYSIWYG イーブックエディター "Sigil" (グーグルがプロジェクトをホスティング) |
返信 |
ソフト 電子書籍 |
単体ソフトです。 epub 形式で保存できます。 一応 インストールしました。
関連 :
● firefoxアドオン EPUBReader 1.4.1.0 -
● 参考 : http://www.kobu.com/docs/epub/index.htm
追記 ----------------
・ とあるページから引用 :
Sigilで作成した日本語ePUBコンテンツの文字化けを修正する方法
要約すると、本文のXHTMLファイルのHTML宣言に言語を指定する必要がある、ということです。
<html xmlns="http://www.w3.org/1999/xhtml">
↓
<html xmlns=" http://www.w3.org/1999/xhtml" xml:lang="ja" lang="ja">
この修正で日本語の表示が確かにうまくいきました。
生まれて初めて鎌倉に行ってみた。 |
返信 |
以前NHKで観た『美の壺(鎌倉・前/後編)』と、志村貴子さんの『青い花』の影響もあって
かねてより「いつか行ってみたいなぁ」と漠然と思っていたのですが。
連休初日の朝、目が覚めたらそのことを思い出したので『じゃらん』でホテルぽちって電車に飛び乗った次第。
インターネッツ万歳。途中、アキバのヨドに立ち寄りガイドブックを買う始末。予備知識の仕込み一時間の旅。
以下、鎌倉感想
・神社仏閣大過ぎ
・軽食店大過ぎ
・風情あり過ぎ
・・・・いいところですね、コンチクショー(嫉妬)
江ノ電の、山間を抜け、海辺を抜け、住宅街を抜け、途中トラムにまでなる長閑さがたまりません。
これ使って通学されている鎌倉高校&七里ヶ浜高校の生徒さんたちがですね、
「なんて素敵な青春過ごしてやがるんですか」と、心底羨ましくなりましたよ。
三年間、ひたすら周囲に田んぼしかない電車通学をした俺に謝れ。(意味不明)
たぶん高校生だし、地元で生まれて地元で育った子がほとんどなんだろうけど、
端から見たら如何に風光明媚で贅沢な通学か、なんて考えもしないんだろうな、とか、
制服のスカートの裾から伸びるステキな生足をぼんやりと鑑賞させていただきながら、そんなことを思いました。
(以上、一方的に喧嘩腰な感想終わり)
一泊だったのでまだまだ巡ってないところも多々。また行こう・・・・
Re: sayonala で働くタグ発見
http://gxvdg5.sa.yona.la/287 |
返信 |
体調が気になります。
大丈夫かな。
Re: "使い方の説明" について
"使い方の説明" について (その2) |
返信 |
Reply 広告とは |
マックがこれから先も高性能化 & 小型化し、頭蓋骨の裏側に埋め込めるインプラントとなったときのことを考えてみる。
...........................................
マックインプラントは説明もいらないほど直感的に使えるからマニュアルは用紙一枚だけ。
施術室でインプラントの埋め込みを終えたユーザーは 帰り際に使い方を記したその用紙一枚を渡される。
直感的に使えると言っても、ちょっとしたコツのいる使い方が1つ2つあって そのマニュアルがないとかなり遠回りすることになる。
ユーザーはマックの使い方は簡単という先入観からマニュアルを軽く見て 案の定その一枚のマニュアルをなくしてしまう。
マニュアルをなくしたユーザーはしょうがないから推理力を働かせ試行錯誤を繰り返し、マックインプラントの使い方を身をもって体得する。
そうしてインプラントへのアクセスの方法を体得し、マックの力を存分に引き出すことができるようになったそのユーザーは、いつしかマックマスターと呼ばれるようになった。
あるとき彼は、まだインプラントを埋め込んでいない友人にインプラントの使い方を伝える。
彼がした説明は実に簡単で、心をビュアにしてある種の脳波を出し 脳の状態を一定にしろ、というものだった。
そうして何日かの後、友人もインプラントの施術を施し、帰り際にマニュアルを渡される。 そのマニュアルを読んでみると、マックマスターが言ったこととほぼ同じだった。
ただ一つだけ違ったところは、"心をビュアにすること" という文言がどこにも書かれていないことだった。
...........................................
使い方の説明が広告となる、と前のエントリーで書いた。
このお話においては、まだインプラントを埋め込んでいない友人に使い方を説明するところが広告しているところとなる。
インプラントを先に埋め込んだユーザーは、まだ埋め込んでいない友人に 力の引き出し方を伝え、夢を与えている。
このお話は、外にあったものを体の中に置いたなら、という思考実験。 前のエントリーで書いた "使い方の説明" での広告手法とその原理は同じ。(インプラントをまだ埋め込んでいない = まだマックの実機をもっていない。 実機を持っていない状態で使い方の説明を聞いているシーン(つまり広告されているシーン)) (※ "使い方の説明" での広告手法とは、使い方を説明するまでもない操作が簡単な機器の操作を、実機をまだ持っていない見込み客に対して 演出を伴わせながらわざわざ説明する広告手法。 ex. まだプッシュホンを持っていない見込み客に、操作をピッポッパッと音演出して説明する。(かなり古いですがわかりやすいので))
で、これを今度は別な角度から見てみる。 すると... そうなんですねー、こうゆうお話の持って行き方は映画やアニメによくあるんですねー。
この一つの広告手法と言うべき "使い方の説明" (使い方を伝える) は、実は 映画やアニメの典型的なシナリオでもある。
スターウォーズもそう、このお話は force(フォース) の使い方を覚えていくルークスカイウォーカーの旅路を連想させる。
つまり、力にまつわる一連の物語を進行させる原理と、"使い方の説明" による広告手法とは根は同じで、見た目やムード、語り口調を変えただけだということ。
(映画の途中にいる観客はまだフォースを持っていない(映画の途中とはフォースがどうゆうものかの説明途中 & フォースの操作感を観客が掴んでる途中)。= 使い方の説明(実は広告) を受けている見込み客はまだ実機を持っていない(実機をイメージできるほどの操作感はまだ掴めていない。操作感をリアルに伝えることで実機のイメージを刷り込む、があって。))
物(or 何か)の力が目に見えない力となって自分に宿り、その力(言い換えれば目に見えない装置) の使い方を自分の体験(試練)によって体得し、体得したものを伝える(表現する) という形であるなら物語。