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■d-10-3 三菱フリーメーソン説③

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2006-09-20

以下は『三菱こそフリーメーソンの牙城だ!No.3』からの引用です。
(※読みやすくするために若干原文に手を加えてあります。)

さて次の章に移る前に、高橋是清が募集した第2回4分利付英貨公債がその後どうなったか見ておこう。

この第2回4分利付英貨公債が昭和5年5月に、5分半利付英貨公債ならびに5分半利付米貨公債に借り換えられたことはすでに述べた。

満州事変勃発以来終戦に到るまで、新規外債の募集は行われなかった。

日本は国際資本市場から隔絶するに到ったから、例え、募集の意志があったにしても、実現不可能な情勢におかれたのである。

言い換えれば、満州事変勃発時点で日本の敗戦への道筋は決定していたということになる。

戦争に負けるであろう国に金を貸す程、英米銀行家もお人好しではあるまい。

したがって、政府外債としてはこの昭和5年5月の5分半利付英貨公債ならびに5分半利付米貨公債、また、民間債としては、昭和6年7月、台湾電力株式会社5分半利付米貨公債の発行が最後であった。

昭和16年(1941)12月太平洋戦争突発当時における外貨債の未償還額は、国債においては米貨債1億5265万ドル余、英貨債7714万ポンド、仏貨債8934万フランであった。

これに地方債および社債の分を合わすと、米貨債2億8334万ドル、英貨債8844万ポンド、仏貨債3億3716万フランであった。これを、仏貨債は除いて、米・英貨債だけについて、当時の為替相場により換算すると、約27億円に上っていた。

しかし、このうち約半額の13億6000万円は日本人所有のものであって、他の半額13億4000万円が連合国人所有のものと推定された。

昭和18年(1943)年1月、第81議会に外貨債処理法が提出され、2月25日両院を通過して、3月15日公布施行された。

この処理法に基づいて、外貨債は大部分、昭和18年9月15日をもって邦貨債に借り換えられるか、または政府においてその元利払義務を承継し、したがって、物上担保等原契約の効力は抹殺されることになった。

かくて、邦貨国債に借り換えられた外貨国債の額は、米貨債は1億3100万ドルで、その未償還額の85.9%、英貨債は2500余万ポンドで、その未償還額の33.1%にあたり、邦貨換算計7億400余万円が3分半利国庫債券に借り換えられたのである。

外貨地方債および社債も、国債同様に、邦貨地方債および社債に借り換え、また、発行者またはその承継者手持ちの自己債については消却されたのであるが、借換または消却されなかったものは、一括して政府において元利払義務を承継した。


終戦時の昭和20年8月末の累計国債残高は1233億円(日華事変、太平洋戦争中の発行高は1059億円)、昭和20年までは1439億7188余万円である。

うち内国債は1399億2446余円、国債総額に占める割合は97.2%、外国債は8億8742万余円、0.6%である。

内国債がいかに巨額な数字であるかは、当時の国民所得が900億円であることからも窺い知ることが出来る。

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■d-10-2 三菱フリーメーソン説②

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2006-09-18

以下は『三菱こそフリーメーソンの牙城だ!No.2』からの引用です。
(※読みやすくするために若干原文に手を加えてあります。)

次に金解禁について見ていこう。

浜口内閣の大蔵大臣に就任したのが、井上凖之助であった。

井上凖之助はすでに横浜正金銀行頭取、日銀総裁、大蔵大臣を歴任し、自他ともに財政・金融の最高の専門家として任じていた。

井上財政と幣原外交は、浜口内閣の政策上の二大両輪であった。

前者が英・米両国財界の支持のもとに金解禁を推進したという点と、後者が英・米と妥協してロンドン海軍軍縮条約を成立させた点において共通の地盤に立ち、かつ、浜口内閣において両者は有機的に結びついている。

では、井上凖之助が実施した金解禁とは何だったのか。

それが日本経済に与えた影響とはどのようなものだったのだろうか。

金解禁とは、通貨と金の兌換を自由にすることである。つまり、金本位制への復帰である。

金本位に復帰しても金貨そのものの輸出を自由にしない国もあったが、日本の金解禁の場合は、国際間の金の移動を自由にすることを意味した。

1917年(大正6)9月、アメリカは、欧州大戦(第一次世界大戦)に参加するとともに、金の輸出を禁止した。

日本もそれにならって、その10日後に金本位から離脱した。

当時、日米両国の財政当局は、金本位停止は、第一次大戦という異常事態に対処するための一時的な措置と考えていた。

アメリカは戦争が終わると、1919年6月には、早くも金本位へ復帰している。

日本は大正11年から金解禁問題が取り上げられ、加藤友三郎内閣の蔵相市木乙彦(第10代日銀総裁)は蔵相官邸で、財界金融界の有力者を集めて会議を開いた。

国際的にも、ジェノア経済会議等で、金本位復帰の必要が強調されていた。

ところが、1923年(大正12)の関東大震災で金解禁論は頓挫した。

1925年、イギリス、オランダ、オーストリア、蘭領インド(インドネシア)、南ア連邦の各国が、次々と金解禁に踏み切った。

日本は、各国に立ち遅れたという事態に陥った。

そこで1926年、若槻憲政会内閣の蔵相片岡直温が、金解禁に着手しようとして、震災手形善後処理法案その他の法案を議会に提出して、金解禁に踏み切る準備が整えられた。

しかしこの議会中に、昭和2年の恐慌が起こって、この方策も挫折した。

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■d-10-1三菱フリーメーソン説①

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■d-10-1 三菱フリーメーソン説①

2006-09-16

三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎がフリーメーソンのトーマス・グラバーと深いつながりがあったことは『明治維新の背後に見え隠れするロスチャイルドの影』の中で触れました。
また、天皇と三菱がビジネスパートナーであったことは『天皇の蓄財①』で触れました。

『天皇のロザリオ』には、

(大正13年)今や、頭山満が天皇の最大にして最高の賓客となった。古代宮廷主義がここに復活し、軍人と右翼(やくざと浪人)が宮廷を支えるということになった。中村雄次郎に代わり、大久保利通の二男の牧野信顕が宮内大臣となった。牧野は一味の右翼理論家の小尾晴敏、安岡正篤を宮中に入れて、皇居の旧本丸内に社会問題研究所をつくった。

翌年、大川周明がこの研究所の同人となると、その名を大学寮と改め、大正デモクラシー運動への対策を練った。また、荒木貞夫、渡辺錠太郎、秦真次などの軍人も参加し、民主主義風潮弾圧の策を練った。

この寮に、陸海軍の若手将校たちが出入りし、三菱財閥が巨額の金を彼らに渡し、美女と美酒におぼれさせていくのであった。2.26事件で北一輝と共に死刑となった西田税がこの大学寮で若手将校たちに軍事学を教えていたのである。日本の右翼は大学寮から生まれたのである。右翼たちは天皇と深く結びついていくのだ。

頭山が三菱財閥と結びつき、天皇から「浪人の元老」という資格を与えられる。北は失意のうちに三井財閥と結びつく。三菱は軍需産業を拡大し、邪魔者の排除を頭山に依頼する。満州支配のスケジュールは三菱と頭山一派の合作である。

頭山は三菱から、北は三井から金を貰い、その金でテロリストの壮士や浪人や将校を誘惑したのである。女が欲しい奴には女を、酒が欲しい奴には酒を、金が欲しい奴には金を投げ与えた結果が2.26事件であった。そして、こんなテロリストたちの首領によって政治が支配されていき、太平洋戦争へと進んでいったのである。

という記述もあります。

以下は『三菱こそフリーメーソンの牙城だ!No.1』からの抜粋・引用です。

(※読みやすくするために若干原文に手を加えてあります。)

三菱財閥

岩崎弥太郎は、土佐藩の地下浪人(最下級の武士)である岩崎弥次郎の子として、天保5年(1834年)12月に生まれた。

慶応2年(1866)、弥太郎は土佐商会主任として長崎に赴任した。

土佐藩直営の産業振興機関「開成館」は、藩の物産を売りさばくと同時に、必要な物資を買い入れる機関として、大阪と長崎にそれぞれ出先機関を設けていた。

これが後の大阪土佐商会、長崎土佐商会となったのだ。

土佐商会の主な取引先は、英国のグラバー、オールト、プロシアのキニツフル、ハルトマン、オランダのシキュート、ベルギーのアデリアンなどの各商会で、買い取った商品のほとんどは、高価な武器だった。

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■d-9-2 天皇は英国王の臣下であった?

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2006-09-14

EIR誌のリンドン・ラシュールによれば、16世紀のはじめ、ヴェネチアの金融寡頭権力は、その本拠地をアムステルダムへ、そして次にロンドンに移し、16世紀後半のヘンリー8世の時代、イングランド王室を支配下に収めたということです。
もちろん、この金融寡頭権力とはユダヤ国際金融資本のこと。

特に、1815年のワーテルローの戦いでネイサンが仕掛けた“罠”により、旧来の貴族のほとんどが破産してからは、イギリスの上流社会はロスチャイルド人脈によって乗っ取られたようです。

さて、ガーター勲章(The Order of the Garter)は、1348年にエドワード3世によって創始されたイングランドの最高勲章とされています。

勲章と訳されている「Order」ですが、英語では騎士団を指す言葉として「Order」が使われます。

上下の序列を持ち、規則を持った、組織化された騎士の結社という意味を持っています。

つまり、ガーター勲章を授与するということは、“イギリスのナイト”として最高の名誉であるガーター騎士団の一員に任命するということになるのです。

明治天皇は、日露戦争後の1906年、英国の国王エドワード7世の代理として来日したコンノート公(国王の弟でフリーメーソン)からガーター勲章を授与されました。

大正天皇は1918年にジョージ五世から、昭和天皇は1929年に、平成天皇も1998年に授与されています。

日本人から見ると“友好の証”のように思えるガーター勲章ですが、英国王から見れば、ガーター勲章を授け、騎士団の一員に任命するということは、「日本の天皇を“大英帝国王の臣下”として認める」という行為であったのかもしれません。

もしかすると“親英家”として知られた昭和天皇も、実はそのことを渋々ながらも“承知”していたのではないでしょうか?

「昭和天皇はあくまで政・戦略の統合者として世界情勢と戦況を検討し、統帥大権を有する大元帥として統帥部をあるときには激励、あるときには叱責して指導した」

「天皇の判断、行動どれをとってみても、大元帥としての自覚と軍人としての豊富な知識に支えられていたものであったといえよう」 (山田朗 著『昭和天皇の軍事思想と戦略』より)

結局、ユダヤ国際金融資本に利用された挙句、捨てられたわけではありますが…。

多くの日本人にとって、この推論は「荒唐無稽」でしょうが、明治以降の天皇家と国際金融資本との結びつきや、昭和天皇が日本の誰よりも国際情勢に精通していたこと等からみて、あながち間違ってはいないように思えます。

「天子」と皇族が、それを欺く政府の「姦謀」が、ともに相寄って自ら国を亡ぼそうとしているとすれば、この事だけはどうしても赦すことができない。 (江藤淳著『南州残影』より)

【参考】『天皇破壊史』

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■d-9-2 天皇は英国王の臣下であった?

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■d-9-1 山本五十六フリーメーソン説

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2006-09-13

戦後、通説とされた「陸軍悪玉・海軍善玉論」の真偽を検証した力作『米内光政と山本五十六は愚将だった』によれば、米内光政は、対米戦争に反対した平和主義者としてもてはやされましたが、実は日中戦争を拡大し、停戦の機会を失わしめた張本人の一人であり、悲劇の名将といわれる山本五十六は、ミッドウェー海戦で圧倒的戦力という戦略的優位と海軍機の高性能と搭乗員の高熟練度という戦術的優位がありながら、戦闘指揮の失敗で敗北した、つまり両人とも戦後の名声とはかけ離れた“愚将”であったとしています。
和平への道を誤ったり、戦勝の機をむざむざ逃したのは、単に両人の能力の欠如ゆえだったのでしょうか?

国際政経学会*1員であった渡部悌治氏は、山本五十六がフリーメーソン結社員であったと指摘しています。

渡部悌治の『ユダヤは日本に何をしたか』から引用。

山本五十六が司令長官になった頃、ハーバード大学ルートの情報で、米国の海軍力は山本五十六が司令長官である間ならば、日本に撃って出ても勝算があり、悪く行っても五分五分で決着がつく。早々に戦端を開くべきだという海軍側の意向が伝えられて来た。しかもその理由の中に一項目、山本はフリーメーソンの結社員だからという条項が入っていた。(略)

山本五十六が、米内光政や高橋三吉らと、日独伊三国の軍事同盟反対の密議を凝らしていた場所は、東京麻布の狸穴にあった。この妾宅の若い女性は当時18歳で、新橋あたりで芸妓をしていた。(略)山本が戦死した報を得て、須藤某が文書の遺稿でもと狸穴に訪ねた時には、すでにこの女性が一切を処理し終えた後であり、(略)戦時中、米内光政の身内や縁故者たちから、国の機密に属する事柄が敵国に流されていたことは事実であり、しかもその事柄が、日本の戦争遂行を不可能にするほどの重要なものもあったことを特筆しておく。

またこの縁辺の者のうちには、首相であった東条の鎌倉での生活苦を賄っていた者もあり、それらを取り巻く近親の者たちの言動から察知された国家機密が直ちに敵国に通報されていた事実も明白になっていた。


山本五十六は1919年5月〜1921年7月までと、1926年1月〜1928年3月までの二度、アメリカ勤務(大使館付武官)をしています。この他にヨーロッパへの長期出張が二度。同時期に駐米大使、駐英大使を歴任していたのが、戦前からフリーメーソンに加入していた松平恒雄でした。吉田茂が駐英中にフリーメーソンに加入したように、山本も、松平に誘われ、フリーメーソンに加入していたことは十分に考えられます。

また、山本と米内は砲術学校時代には同じ部屋に起居している間柄であり、生涯に渡り二人は非常に波長が合ったと言われています。

フリーメーソンとは直接関係ないかもしれませんが、英米に取り込まれていた可能性があるのは山本や米内だけではないようです。

渡部悌治氏は、英米の対日工作費が右翼に渡されたルートとして、

英米の対日工作費→張学民経由→キリスト教矯風会の子女→大川周明・赤尾敏

英米のエージェントであった巌本善治→正則中学校の今岡信一郎→関東国粋会の梅津勘兵衛

などを挙げています。

クーデターにはアメリカ、ユダヤから金がきていた。2.26事件には三井財閥の金も動いている。北一輝には三井の池田成彬から月々の手当てが出ていた。それで池田には行動決行の電話がいち早く届いている。5.15事件も、2.26事件も、他のクーデターも、いずれの場合も、第三国の金が動いたのである。

2.26事件の資金は、久原房之助から出ていた分のルートも分かっている。(略)久原の背後にあって久原に資金を調達していた者が誰か、ということも考えてみなければなるまい。

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■d-8-7 日本フリーメーソンの内幕⑦

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2006-09-12

引き続き『フリーメーソンの秘密』(赤間剛著)より引用します。
日本メーソンの敗北
『人間と世界の改造者(楽園を創るフリーメーソン物語)』(仙石太郎)という本によると、ユダヤ・フリーメーソンがニューヨークで戦前からすでに“日本解放会議”をもち、「専門職のメーソンを300名くらい集め、日本の解放指導者に教育して解放軍に編入する」ことを決定。これはルーズベルト大統領(オランダ系メーソン)と直結するものだったという。

いわゆるニューディール派のユダヤ人は、戦後日本の解放政策を採用したGHQ内の軍人で、フリーメーソンだった。フリーメーソンにとって解放後の日本が未来の「人間と世界の縮図、理想」と考えられたからだと述べられている。同書によると、

「ニューヨークで1943年に選び出された日本人の解放指導者には、首席候補が幣原喜重郎以下十数名、進歩系の片山哲以下十数名、そして吉田茂がロンドン駐在中にスコッチ・メーソンになったから特別に育成すると決まった。そして、解放要務員のメーソンが300名軍籍に入れられ軍政顧問として新日本建設の各分野に配属された。

1949年に復活した東京ロッジがスコッチライト・テンプルとして日本人だけのメーソンを形成、サンフランシスコの講和会議に活躍した」

という。

天皇の人間宣言からGHQの諸政策もフリーメーソンの政策という驚くべき内容だが、もちろん真偽は判らない。この話を日本のメーソンに聞くと、「そんなこと判りません。聞いたこともないから、おそらく嘘でしょう。フリーメーソンは政治とは無関係ですからね」と否定する。たぶん、そうだろう。政治評論家の戸川猪佐武氏にフリーメーソンについて聞いても、「戦後政治をフリーメーソンが動かしたなんて聞いたこともありませんよ」というからである。

戦後政治の中で、日本のフリーメーソンが大きな役割を果たすには余りに人数も少なく、規模も小さい。しかし、天皇入社を成功させ、支配者層の獲得をしていれば、話も違ってきたかも知れないのだ。しかし、現在に至っても、フリーメーソンの日本人はほとんど参加人数が変わっていない。その理由について、ある日本のグランド・マスターは次のように分析する。

「フリーメーソンは宗教と違って仲間を勧誘しない。これがフリーメーソンがもともと何か知られていない日本では決定的に弱い。欧米では、メーソンになるのは名誉ですから、あちらから押しかけてくるからね。

第二に日本人の精神がメーソンの個人主義を受けつけないし、自由の精神が薄いことです。第三に、日本の社会がいわゆる“タテ型”になっており、大会社の人間はそれこそ結社のようにバッジとか入社式があり、一生会社人間でフリーメーソン結社と同じ構造です。だから、日本人にはことさら別の社外組織であるクラブとか秘密結社に入って同胞愛を確かめる必要がないのだね。私は日本人がフリーメーソンの精神を受け入れ、国際的な同胞愛に目ざめるには、あと一世紀はかかると思う。日本にはまだ真の個人主義も、真の民主主義もないのですよ」

フリーメーソンが日本で発展しなかったのは、逆説的にいって日本が世界の中で、“秘密結社”のように閉鎖的で、内部の平等と同胞愛を持っているからだというのである。この意見は貴重だ。欧米の「ヨコ社会」(差別的な階級社会)に対して、日本は同人種の国家であり、フリーメーソン的な高位階級制度が社会の中に存在するから、秘密結社が育ちにくいのである。

もちろん、フリーメーソンの日本での発展がなかったことは、他にもいろいろな要因が考えられるが、何といってもフリーメーソンの教義*1が持つ宗教性が、キリスト教と同じく日本人に適さなかったのであろう。

現在、日本にはグランド・ロッジの下に20のロッジ(支部)がある。これは、横浜(No.1)、東京(No.2)、国立(No.3)、同(No.4)、京都(No.5)、名古屋(No.6)、国立(No.7)、同(No.8)、佐世保(No.9)、三沢(No.10)、東京(No.11)、神戸(No.12)、座間(No.13)、福岡(No.14)、福生(No.15)、岩国(No.16)、千歳(No.17)、東京(No.18)、沖縄(No.19)、横須賀(No.20)であり、米軍基地周辺に多い。

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■d-8-6 日本フリーメーソンの内幕⑥

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2006-09-11

引き続き『フリーメーソンの秘密』(赤間剛著)より引用します。
失敗した天皇入社
日本人のフリーメーソン創設期の事情を知る一人に芝金平氏(朝日イブニングニュース社相談役)がいる。

「私とか村山有さんなんかが始めたとき、日本人はほんの五、六人でした。フリーメーソンということではなく、日米親善の組織として集めました。当時、水交社にアメリカのメーソンがたむろしており、中心人物はマイク・リビイスト氏たちだった。彼らから日本人のメーソンを作らないかと話があり、村山有さんがGHQにかけあいに行き“宗教団体としてならよろしい”となりました。

それで私らが日本のメーソンの発起人になり、東久邇宮さんとか主だった人々を集めたのです。私たち初期メンバーは一位階のメーソンでしたが、一晩で昇進させられました。英語で儀式用語を暗記するんですよ。今は日本語でいいが当時はあくまで英語でした。それから水交社を払い下げてもらったが、これは正確にいうと“盗んだ”みたいなもので後に水交社側と示談になりました。マイク・リビイストたちが仕組んだことです。そういうやり方が私はおかしいと思ってトルーマン大統領がメーソンだというので直訴したんだ。すると日本のメーソンはフィリピンの管轄下だからそちらへ言えと返信がきた。そしてフィリピンから調べにきたが、結局ウヤムヤになってしまった。

日本人のメーソンといったってコントロールしていたのは一部の外人でした。イタリア人のリビイストとかが水交社ビルを使って金儲けをしており、“話が違うじゃないか”と私はやめました。当時、日米親善といえばみんな乗ってきましたし、東久邇さんや鳩山さんにしろ他の政治家の多くもうまいことがあると思って集まったのですよ」

フリーメーソンの高尚な教義にもかかわらず、日本人メーソンも外国メーソンの指導者たちもかなりいかがわしい行状があったようである。フリーメーソンを日本で定着させ、拡大させるには天皇の入会がキー・ポイントであった。前出の宮中工作と同時期、日本人メーソンの笠井重治氏のもとにもマッカーサー元帥からの次のような要請があった。

「マッカーサーから手紙がきて“メーソンのアジアというものを作りたい”といわれた。私は“いいと思う。日本ではメーソンは誤解されているが、世界との友情に必要だ”と答えた。するとマッカーサーが、“重要な会合なので天皇を加えたい”という。私は“それは無理だが皇族なら何とか”と答え、当時総理大臣だった東久邇宮を訪ねた。

マッカーサーがフリーメーソンに天皇や皇族を加入させたいという意図は、日本の支配者だからというものでした。私が当時無理だといったのは、フリーメーソンへの悪いイメージがあったからで、今ならおかしくないし、反対もしません。東久邇さんのもとへはリビイストを連れていって話をしました。東久邇さんが入会してから二、三年後、佐藤尚武、植竹悦二郎他が入会したが、みんな私が説得したんですよ。もう一方では芝金平さんが日本人メーソンを集めていました。ちょうどそのころ、アメリカの将校たちが旧海軍の水交社にいたので、私が日本政府に交渉して日本グランド・ロッジにしたのです」(笠井重治氏の話)

笠井重治氏は山梨県出身の代議士で、1950年1月7日入会、No.2ロッジに属した。国際産業(株)社長、日米文化振興会会長、フィリピン協会理事などをしている。戦前、シカゴ大政治学科、ハーバード大学院を卒業、親米派の人物だ。

『マッカーサーの二千日』(袖井林二郎)によれば、笠井氏は戦後すぐGⅡのウィロビー部長への有力な情報提供者であり、占領政策の「友好的日本人」と評価されていて、マッカーサー元帥とも知人であった。また、マッカーサーの記念館を作ろうとの運動を起した人物でもある。

笠井氏の話では、

「メーソンの資格はこれといってないが、戦前の日本人でメーソンになれる人は少なかった。アメリカでは銀行の頭取とか社会的有力者ばかりが入会していました。私がマッカーサーと話して日本のメーソンを独立させたのです」

ということである。

芝金平氏、笠井重治氏の談話にも二度名前が出てくるマイク・リビイスト氏とは前出の天皇入会の宮中工作を担当していたメーソンの大物だ。1949年にアメリカからフリーメーソンの視察官として来日、マッカーサー元帥の腹心の軍人(大尉)であった。天皇工作がなぜ実現しなかった...

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■d-8-5 日本フリーメーソンの内幕⑤

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2006-09-10

引き続き『フリーメーソンの秘密』(赤間剛著)より引用します。
フリーメーソンの宮中工作
村山氏の本からもう少し続ける。

鳩山一郎氏は公職追放中だったが、マッカーサー元帥の肝入りでフリーメーソンの門戸が開いたと聞き、村山氏を訪ねて入会を希望、「フリーメーソンの精神を日本人にも大いに理解させなくてはいかん」と大変に力を入れた。やがて公職追放がとけ、総理大臣になるとメーソンの第3位階に昇進、水交社で200人近いメーソン兄弟の祝福を受けた。そのとき鳩山氏は次のようにあいさつした。

「戦後日本において幾多の社会的変化がありました。そのなかでフリーメーソンの門戸が開かれたことは最も大きな出来事であります。私は世界幾多の指導者や元首が対等の資格で会員であるフリーメーソンの一員として、日本グランド・ロッジの年会に出席する機会を光栄に思います。

フリーメーソンが民主主義精神の根本を教え、アメリカの独立をはじめとして自由と平和のために闘ってきた数多くの先覚者は、みなメーソンでした。この友愛精神が新しく日本をもつなぐ大きな力となったことを考えましても、この精神を讃えずにはいられません。マッカーサー元帥は私ども日本人にこの友愛結社の門戸を開き、また占領軍の多くのメーソンは実際に兄弟愛の何物であるかを実践してくれました。

占領初期から今日に至るまでのマッカーサー、リッジウェイ、クラーク、ハル、レムニッツアならびにアリソン大使は、いずれもメーソンであります。日本にこの会が結成されて数年を経ていますが、この間に日本語のみの関東ロッジが認められたことを喜ぶものです。4000年の歴史を有するフリーメーソンが日本で実を結んで、今日に至ったことを誇りに思います」(昭和31年6月5日)

村山氏があげている初期の日本人メーソン(前出の他)では、浅地庄太郎(日本ビルサービス株式会社社長)、二宮順(朝日新聞記者、ボーイスカウト運動)、李垠(旧皇族の李王)、東ヶ崎潔(1950年入会、No.2。ジャパンタイムズ社長、ボーイスカウト運動に活躍、ロータリー・クラブ国際会長。1960年日本のグランドマスター)、植田優、吉井寿雄(貴族院議員吉井勇の息子、松本滝蔵の親族)、武田修、島内敏郎(外交官、サンフランシスコ講和会議の委員)、長田政次郎、北川正恵、小田春海、犬丸徹三(元帝国ホテル社長)、堀内貞一 (神奈川菱油取締役、新日本産業設立、社長。1959年日本のグランドマスター)、山本勝夫、増山吉成がいる。

村山氏も述べているように日本のフリーメーソンは、マッカーサー元帥はじめ占領軍高官とアメリカの戦後政策(新日本建設)が合致して強力に推進させられたと考えられる。“フリーメーソン・ライブラリー”所蔵の『日本のフリーメーソン百年史』(日本グランド・ロッジ編)の中でもそのあたりの“政治の裏面”が記録されている。以下、同書にそって追ってみたい。

「フリーメーソンに対する嫌悪感を生ませた軍国主義者のやり方を私はアメリカのメーソンに説明した。アメリカのメーソンの人々は、日本の若い世代の心にヒューマニティとデモクラシーの精神による日本の再建策として非常に重要な戦後計画であるスカウトを支え、援助することを日本の指導者と政府の役人に約束した。私はフリーメーソンの真実の姿を、日本の皇族とトップ・リーダーに紹介するために働きかけた。

そして東久邇宮(天皇の叔父、戦後の首相)が兄弟、友愛の真実を学ぶためにフリーメーソンの“忠実な奉仕者”になることを表明した。彼は少数の日本人希望者と共に、加入申請書を出し、最初の日本人となった。プリンス・李垠(夫人は皇后のイトコ)も私どもと共にメーソンとして歩んでいる。このことが佐藤尚武、高橋龍太郎、鳩山一郎、河合弥八、三島通陽ら日本人リーダーを含む人々の入会を納得させるのに役立ったのである」(同、1955年、ワーナー・P・シュトリング氏記述、日本のメーソン指導者)

マッカーサー元帥は、フィリピン管轄下の日本のフリーメーソン組織をフィリピン側の反対を押し切る形で独立させる働きをした。 「日本人にまかせるようにしなければいけない」と考え、そのため日本人フリーメーソンを「これこそ一晩で上級位階にする処置を取った」(芝金平氏。後述)。日本のフリーメーソンを発展させるため、マッカーサー元帥はまず皇族を入会させ、次に日本の指導層を獲得、最後に天皇を会員とする腹であった。

戦前からアメリカのメーソンで日本通の人々は、「アメリカ人に対し、天皇を理解せよ」と説いたが、今度は天皇の方からフリーメーソンに対して「大いに興味を持たれた」という。天皇の耳にフリーメーソンを吹き込み、勧めたのは次の人々である。

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■d-8-4 日本フリーメーソンの内幕④

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2006-09-09

引き続き『フリーメーソンの秘密』(赤間剛著)より引用します。
日本の著名メーソン
フリーメーソンの“カード”から、すでに故人となった著名な日本人メーソンを拾ってみよう。

鳩山一郎…1951年3月29日入会。No.2(ロッジ番号、以下同じである)、元首相、昭和29年、青年運動の「友愛同志会」(現薫子夫人会長。クーデンホーフ・カーレルギー伯が名誉会長)を結成。「友愛同志会はフリーメーソンの精神を基礎にしている」が鳩山氏の口グセだったという。ちなみに、“パン・ヨーロッパ主義者”でEC創設者の一人、カーレルギー伯はオーストリアのメーソンといわれている。

浅野良三…1951年9月20日入会、No.2。浅野財閥の当主。戦後、経団連結成に参加、小林中などと“新番町会”を結成、池田内閣などとつながった財界人として知られる。

加納久朗…1950年4月3日入会、No.2。吉田元首相の親族として財界側のスポンサー、「不明の外資を導入する男」(『真相』)といわれた。子爵、元横浜正金銀行重役などの戦後財界人。

河合弥八…入会、ロッジ番号不明。元参議院議長、鳩山自由党に参加した保守政治家として有名。

弘世源太郎…1961年4月10日入会、No.1。元日本生命常務、父・現氏が同社社長、妹の正子さんは旧皇族の久邇宮朝融王氏の子息、邦昭氏と結婚。財界の“名門”といえよう。

小松隆…1950年8月8日入会、No.2。元日本鋼管重役、吉田茂日米協会会長時の副会長、後に同会長。ロータリー・クラブの評議員、会長でもある。

田中元彦…不明、No.11。前出の藤山愛一郎氏の実弟、日本NCRの顧問、菱和航空サービス(株)会長、日本アドレソグラフ・マルティングラフ(株)取締役。プリンストン大卒の知米派だった。

村山有…1950年9月8日入会、No.11。元朝日新聞記者、ジャパンタイムズ編集長、幣原首相のGHQとのパイプ役といわれた。戦争中は陸軍中野学校と組み、対米謀略放送に従事、戦後、ボーイスカウトの再建に活躍、アメリカ生まれの二世。

村田五郎…1950年9月8日入会、No.2。ジャパンタイムズ重役、元群馬県知事、元内閣情報局次長、日本会会長。

松本滝蔵…1950年9月8日入会、No.2。広島県出身の代議士。マッカーサー元帥後援の日米親善野球の日本側委員長。

佐藤尚武…1950年一月五日入会、No.2。終戦時の駐ソ大使、戦後代議士。元衆院議長、元外相で、外交界の長老であった。神社本庁の総代会会長に就任、国家神道の再建に貢献した。

野田俊作…1950年3月28日入会、No.2。政友会の父、卯太郎の地盤を継ぎ、代議士。松野鶴平代議士と義兄弟の間。

山下太郎…1950年4月3日入会、No.2。俗に“満州太郎”“アラビア太郎”との異名を持つ財界人、山下汽船の社長。

下条康麿…1950年3月3日入会、No.2。元文部大臣。子息が下条進一郎現代議士である。

植竹悦二郎…1950年1月5日入会、No.2。長野県出身の代議士、戦前の内務大臣、戦後憲法をGHQと会談、作成に協力した。吉田、鳩山政権に参加、リベラリストだったが反共主義者としても有名。

山岡萬之助…不明、No.11。元貴族院議員、日本大学の“中興の祖”といわれる名総長だった。戦後、GHQにより公職追放。

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投稿者 sfu9xi | 返信 (0)

■d-8-3 日本フリーメーソンの内幕③

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2006-09-08

引き続き『フリーメーソンの秘密』(赤間剛著)より引用します。
入会者の話

フリーメーソンが「秘密結社ではない」*1の証拠として、私は日本グランド・ロッジの殿堂に案内され、儀式の会場見学を許された。カトリック教会の厳粛さとまた全然違うエキゾチックな雰囲気だ。

三人のメーソンが議長の席、会員の着席順、位置他を説明してくれる。儀式のときは、入口に門番の衣裳で槍を持った男が、謎の問いを発し、正しく答えないと入室できない、という。許しをえて、メーソンのエプロン、帽子ほか衣裳を身につけてみる。何となくテレ臭いが何となく愉快でもある。それで、「勲章とかエプロンとかにテレる人はいませんか?」と聞く。

「いません」と心外そうだった。

儀式のときは、真中の台座上にそのメーソンが信仰する“聖書”を開き、右手をおきメーソンの誓いを口にし、ひざまずく。日本人ならこの“聖書”は仏典でもよいが、ふつうは旧約聖書(ユダヤ教)だ。というのは、メーソンの行事は独自のメーソン暦からなるユダヤ教から由来しているからである。儀式の用語は今では日本語でよいが、儀式の行事などはあくまで古来からのフリーメーソン様式を踏まえるという。

会場の模様は四方に黒い幕がおろされ、外光から遮断されている。中央に祭壇。三隅に奇妙な形のランプ、スイッチを入れると赤紫色の神秘的な光を発する。席は正確に東西南北に配置されており、東側に祭司長の席。その上には木槌がある。机の前に垂らした幕には、海に昇る太陽とメーソンとは切り離せない直角定規の刺繍がしてある。

祭壇をはさんで西側の祭司補席には、山あいに沈む太陽と水準器。椅子の背もたれには、フリーメーソンの象徴である直角定規とコンパスの組み合わせた飾り、述事務局長らメーソンの説明によると、この道具立てのひとつひとつに意味があるのだと説明をしてくれる。たとえば、祭司長席後方の垂れ幕にある「G」の文字はジオメトリー(幾何)のG、ゴッド(神)のG、というようにだ。さらに直角定規とコンパスを組み合わせたマークのある帽子、位階を示す模様のついたカラー、直角定規と神の「眼」が描かれた羊皮製エプロンからなるフリーメーソン独特の服装など、ムード的にいうといかにも秘密結社的である。

日本グランド・ロッジの殿堂内を訪問した外部のジャーナリストは、「あなたが初めて」といわれる。これはジャーナリストが知らないの意ではない。朝日、毎日、ジャパンタイムズなどかなりのジャーナリストが日本人メーソンだからだ。

フリーメーソンは独自の図書館を持っている。それを「フリーメーソン・ライブラリー」といい、全世界のフリーメーソン関係の書物がある。

「フリーメーソンだけの印刷される書を総合すると聖書の発行部数を軽く越えるといわれます」(安藤一夫氏)

この図書館を利用できるのはメーソンの会員のみだが、私は特別に資料を見せてもらった。メーソンの機関紙には『マソニック新聞』があり、各国ロッジの活動などが記載されている。図書館の書物はほとんどが英文で、機関紙も英語と日本文の半々だ。

全国の会員名簿はなく、「各ロッジがそれぞれ持っている」が本部のグランド・ロッジ内にある「名前・生年月日・入会年月日・ロッジナンバー・死亡・退会年月日」という断片的なカードを閲覧する許可を与えられた。このデーターから著名なメーソンを割り出し、入会の動機やフリーメーソンについて取材してみた。

大日本製糖会長の藤山勝彦氏はいう。

「入会は17年前。メーソンでした田中元彦(勝彦氏の実弟。NCRの元社長)に、国際的組織ですし、いろんな有名人が入っているからと勧められました。昇進試験が難しくて私はいまだにメーソンの一番下です。メーソンは社会奉仕をやり、メンバーが兄弟的な団結をもつ立派な団体です。いわゆる社交的なクラブと違い、一つの使命をもって固く結ばれています。しかし、メンバーを拘束することはありません。

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投稿者 sfu9xi | 返信 (0)

■d-8-2 日本フリーメーソンの内幕②

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2006-09-07

引き続き『フリーメーソンの秘密』(赤間剛著)より引用します。
複雑怪奇な内部組織

さらにインタビューを続けてみよう。

Q.フリーメーソンの内部はどうなっていますか?

A.基本的には1〜3の位階を通過すれば、一人前のメーソンです。4〜33位階を総称してスコティシュ・ライト(スコットランド・儀礼)といいます。この位階は上下の階級的関係でなく、いわばマスターする“学位”のようなものです。1〜3が一般メーソンでブルー・ロッジ。4〜14を十全会。15〜18をバラ十字会。19〜29を神聖会。30〜32を宗門会議。33を最高会議といい、それぞれブルー・ロッジを通過したメーソンが位階に応じてグループを作っています。

一人前のメーソン(三位階)になるとスコティシュ・ライトの各グループがそれぞれの会にメンバーをスカウトできます。4位階以上からは縦の階級でなく、横一列の関係で、内部の勉強会と思って下さい。1〜3のプロセスがメーソンの基本型で4〜33はその枝葉です。しかも、いわゆる階級ではなくメーソンとしては3位階以上はみんな平等です。儀式と秘密はこの位階の昇進時に行なわれ、また年に何度かの聖書(旧約)にのっとって決められた日に行ないます。

秘密はそれぞれの位階に応じてあり、メーソンの仲間うちでも自分が何位階か教えてはいけません。儀式はそれを通じての兄弟愛と真実をきわめるために行なうもので、一言でいうと人間修養のためのものです。

勉学内容は、象徴や儀式であらわされ、時には芝居みたいな演技をします。ふつうおよそ6ヵ月で一人前のメーソンになりますね。この修養の内容を言うわけにはいきません。それが一番の秘密なのですからね。

フリーメーソンは各ロッジで月に4回、集会を持ち、それぞれのグループで月例会、ミーティング、勉強会の日を決めます。集会日はふつう夕方の6時ぐらいから夜10時ぐらいまで、夕食会を催しますが、ロッジ内での飲酒は厳禁、集会中は政治や宗教、ビジネスの話は禁じられています。もちろん、メーソンは個人主義ですから、ロッジ外では全くフリーですし、兄弟愛を通じ、メーソン同士が仕事の助け合いや政治的理想を語るなども自由です。(片桐三郎氏)


Q.外郭団体や人脈的に近い団体を教えて下さい。

A.スコティシュ・ライトでは、メーソンだけの慈善団体*1をもち、これをシュラインと呼びます。シュラインは回教儀式のテンプル(寺院)を集会所とし、主に身体障害者相手の病院を経営しています。アメリカではこのシュラインが盛んで、このメンバーになるのは非常に名誉なこととされていますが、日本では資金的な余裕も、メンバーも少なく盛んではありません。

外郭団体としてメーソンの子弟たちのために『オーダー・オブ・デ・モレー』というボーイスカウトがあります。ふつう『デ・モレー団』と呼びますが、デ・モレーの名は十字軍時代の有名な聖堂騎士団の最後の総長、デ・モレーから由来するもので、第一次大戦後、アメリカのメーソンが青少年運動のために興しました。世界の本部はアメリカのミズリー州のカンサス市にあり、現在世界中に数十万の団員を持っています。日本では支部が東京、福生、沖縄の三カ所にあります。

このガールスカウト版が『オーダー・オブ・レインボー・ガール』です。そしてメーソン家庭の夫人連の団体が『オーダー・オブ・イースタン・スター』(東方の星結社)です。(述事務局長)

Q.日本グランド・ロッジと諸外国との関係を具体的に説明すると?

A.日本グランド・ロッジはブルー・ロッジの管轄権を持っています。フィリピンから独立したとき、“既得権”としてすでに存在した英国やフランスのロッジは管轄外として認めましたが、今後は日本グランド・ロッジが日本のフリーメーソンの最高機関として、進出を許可します。

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投稿者 sfu9xi | 返信 (0)

■d-8-1 日本フリーメーソンの内幕①

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2006-09-06

1997年に出版された『フリーメーソンの秘密』(赤間剛著)より引用します。
メーソンへの直撃インタビュー

フリーメーソンの実態を知るためには是非、メーソンに直接インタビューする必要がある。フリーメーソンが果たして門戸を開いてくれるだろうか? 不安だったが、ともかく再度インタビューを申し込んだ。すると思いもかけずOKの返事がきた。以前、申し込みをしてから一年目のことだった。

日本グランド・ロッジは東京・港区芝公園の旧水交社がマソニック・ビルと聞いていた。しかし、「現在建て変えている」とのことで港区虎の門の第六森ビルに出かけた。応対してくれたのは東京メソニック協会の述丈夫事務局長と三人の“高級メーソン”である。

「東京メソニック協会とは、日本グランド・ロッジ傘下の2、3の有志ロッジによって作られた団体です。昭和30年に財団法人・東京メソニック協会の正式名で厚生省に設立許可された慈善団体としての公益法人です。日本グランド・ロッジは、昭和29年の宗教法人法改定までは宗教法人として登録されていましたが、フリーメーソンは友愛団体ですから、宗教法人ではおかしい。現在、日本グランド・ロッジをはじめメーソン団体は私的な団体です」(述事務局長。32位階)

「アメリカにはメーソンは400万人いますから、2億のアメリカ人口中、およそ20人に1人の割合でメーソンがいます。フリーメーソンは秘密結社ではありません。そのように宣伝したのは戦前の軍国主義者でした。確かに一部に秘密があります。それは儀式の内容と入会者のメンバーをみだりに外部に明かさないことで、仲間うちだけにメーソンの兄弟だと通じるサインとか言葉などがあるのですね。」

フリーメーソンは個人の道徳性を高めるのが目的で、入会者の条件として、無神論者でなく、何かの超越的な神を信じ、家族を愛し、国家の合法的規約に従うという規約があります。メーソンになるには、まず二十歳以上の成人男子で、手足が不自由でない(儀式と“合図”のため)、酒を売る人は原則としてお断りするなどの規約がありますが、基本的にはジェントルマンであることが入会の条件ですね」(片桐三郎氏。某大会社役員。32位階。横浜ロッジ支部長)

説明によると入会希望者は自分から進んで、「メーソンになりたい」との意志をのべ、ロッジのメンバー2人に推薦してもらう。するとロッジからフリーメーソンの願書(履歴書・身上書)が渡され、その資料を基にロッジから別の2人が面接調査する。そして、「家族の面倒をみているか」とか「アルコール、賭博の常習者でないか」などの生活態度ほかを詳細に調べられる。しかし、実際には、「入社試験よりやさしいですよ」(片桐氏)という。このレポートにより、ロッジのメンバーが全員一致して賛成すれば入会が認められる。すると、全国のロッジに新人紹介の回状が廻るという。入会金は3万6千円、年会費が4千円と安いが、ロッジでの各種の催事などの費用は自前の持ち寄りが原則。会費を2年間滞納すると権利停止の資格剥奪を受け、またハレンチ罪や非合法な罪に問われると追放処分される。このような裁定は内部の審判員が公平に判断し、被告はメーソン仲間の弁護人を選ぶことも可能で、民主的である。

「フリーメーソンは国家の組織に似た制度を持っています。日本グランド・ロッジは諸外国のフリーメーソンと外交関係で相互条約を交し、友好条約を結びます。日本グランド・ロッジ内部では、司法・行政・立法の三権分立機構を持っています。統轄権を持つロッジ・マスター(支部長)、グランド・マスター(本部長)も民主的に選挙されます。

各国のグランド・ロッジ間は独立国の関係と同じで平等です。日本グランド・ロッジはフィリピンのグランド・ロッジ傘下から1958年、独立しました。内部ではメンバーが除名されると傘下ロッジに回状が廻され、まあヤクザ組織と同じです。フリーメーソンの組織員は、変な意味でなくいうとヤクザ組織に似ていますが、崇高な目的があり、そこが違いますね」(安藤一夫氏。早大講師)


以下、一問一答をした。


Q.なぜ、秘密を持つのか?

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投稿者 sfu9xi | 返信 (0)

Re: http://rzhqe8.sa.yona.la/1

よーこそ、…

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そして、それが、みんな最初に持つ感想だとおもいます。

投稿者 uj7u9x | 返信 (0)

ヤフー音楽サービスの音質 & 東方神起

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 ヤフープレミアムで音楽が聴けるようになってますねー。 →

んー、どれくらいの音質なのか ちょっと聞いてみた。

 結果 → ダメ。


 音が細い、音が細くて音圧が弱い。 音質をわざと落としていますなー。

これだったら中国のMSメディアプレーヤー埋め込みのページの方がずっといい。




 聞いた曲は、東方神起の Kiss The Baby Sky。


かっこいいっすねー。 あの高音。ファルセットボイスというんでしょうか。

 いやー、クーール。



★  東方神起 : Kiss The Baby Sky  →

   (ページ内MSメディアプレーヤー埋め込み、音量スライダ最大)



--- トゥウィット ---

 ベイビーーー  スカーーーイ

投稿者 fh9xif | 返信 (1)

http://rzhqe8.sa.yona.la/1

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なんぞこれ?

投稿者 rzhqe8 | 返信 (1)

Re: アンサイクロペディア

http://k2dg5z.sa.yona.la/117

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結構好きですけどね、ムリヤリな感じが。

銀河ヒッチハイクガイドみたいで。

投稿者 k2dg5z | 返信 (0)

Re: 横ですが。

ナイス横

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ホントでした~。

世界地図に中国も含まれてたんで、漢字行けるかなと思ってたんですが…。


LEEとか入れても、中国まったく色付かないので、中国は対象外みたいですね^^;

投稿者 uj7u9x | 返信 (0)

Re: 雇ったのは、

やっぱり

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状況がわかってなかったです^^;

投稿者 uj7u9x | 返信 (0)

Re: 状況わかんないけど

雇ったのは、

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外国人の研修生なんですけどね、だからって甘やかしちゃいけないし。

投稿者 zf2sp6 | 返信 (1)

眠りの仕組みでサバイバる!?

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投稿者 vq5z7u | 返信 (0)

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