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即レスマン

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即レス戦隊・ハリツクンジャー(ソロ)

投稿者 zig5z7 | 返信 (0)

Re: http://q7ny3v.sa.yona.la/2458

セリエ

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トータル・セリエリズム(Total serialism)は、音高だけでなく、音価・強弱・アタック・音色なども厳格に音列技法によって統治する作曲法である。日本語で「総音列技法」、「総音列音楽」とも言う。

トータル・セリエリズム - Wikipedia



全部書こうとした結果が、がんじがらめの自縄自縛でございます。


ゲンダイオンガクがここまで行って、さらに廃れて早幾年なこともあり、クラシックは死んだ、とまでは言いませんけど、止まった、と思っています。


ショスタコーヴィチという作曲家がいまして、彼の曲の演奏について「日本人は、ショスタコーヴィチを演奏することにかけてはロシア人の次にうまい。書いてある通りにやるから」という評があると聞いたことがあります。

・誰が言ったのかわかりませんし(どうせロシア人だろ)、

・どこまでが皮肉なのかもわかりませんし(ひょっとして対象は露/日「以外」?)、

・そもそも彼の曲が「その通りにやればそうなるように書いてあった」という面もあるかとは思いますが、

その評の存在を聞いていろいろ思うところはありました。

自覚のあるなし、「再現」について、解釈の好み、演奏家の役割、等。


やや似た例がバルトーク。テンポがメトロノームの数字で指定してあって、そこから割り出した演奏時間までご丁寧に書いてあります。

でも、そんなのを厳密に守ろうとしてる人はもちろんいません。そりゃ無理ってもんですよぉ。PCでDJやってる人ならできるんだろうか。


……そういえば、天才的な不世出の歌手が自分用に書いた曲って、クラシックでは聞かないかも。探せばあるのかもしれませんが、「クラシックに」残ってはいないんじゃないかと思います。

声を楽器として使うというのはそういうことなのか。節回しくらいは伝えられたとしても、声の質だけは教えようがないもんな。身体の作りが違うだけで無理だから。クリカンへのルパン禅譲みたいなのは例外中の例外。

クラシックのコンクールでは、声楽だけ、年齢制限が緩いことがよくあります。他の楽器は25歳くらいで切られても、声楽は35くらいまでエントリーできたりする。この辺は演歌のオッサン声や「唄い込んでウン十年」みたいな身体の作り方もあるのかもしれません。

投稿者 zig5z7 | 返信 (0)

http://q7ny3v.sa.yona.la/2458

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クラシック楽曲の場合、楽譜を記述するルールで作曲者の表現は打ち止めなんでないかな。と。

シーケンサーにスコア打ち込んで鳴らしたら、実にオモロナイ、という経験はアル。オケなら指揮者の解釈、ソロならプレイヤーに表現の仕上げは預けられてる。作曲者の演奏が原典とすると、ショパンコンクール5年に1度開かずにローマ法王かダライラマみたいな決め方すりゃいいので。

まぁジョンレノンの楽曲にはジョンレノン以外が歌うと実になんとも感じない曲が多い、エルトンジョンのイマジンはイイ。

投稿者 q7ny3v | 返信 (1)

Re: http://q7ny3v.sa.yona.la/2457

ごめんなさいわかりません

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山田かまち


せめてワイヤレス推奨。

……トーキングモジュレーターで何とかなるのか?ごめんなさいわかりません。

投稿者 zig5z7 | 返信 (1)

Re: バンドやろうぜ (6/13)

http://q7ny3v.sa.yona.la/2457

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シゲシゲ読み耽っておったのですが、「唇に触れるマイクの硬さ」のとこで視界が暗転クラクラっと。エレキギター担当でコーラス取ったときの感電の痛みが蘇る、フイにドツかれたみたいな衝撃。だからギターはマイクに触れないよ、と。ベースはバランス入力でマイクと同じグランドボルテージなDIに繋がってるワケでこのコワさは分かるまい。

投稿者 q7ny3v | 返信 (1)

Re: 最近何もしていない。へこむ。

取り急ぎ

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http://am-our.com/special/73/3664/


苫米地:(zig5z7略)自己評価は一度下げちゃうと、ほかの人がどんどんねたましく思える。一度おちてしまうと、抜けられないスパイラルにはまっていく。それは“最悪のブス”だね。

編集部:それに気づいて、自己評価さえあげればいいのですね。
二度とやってこない過去と未来には何の関係もない。
つまり、昔ブスでも今美人と思えば問題はすべて解決!?

編集部: 失敗して、自分に自信が持てないときはどうすればいいでしょうか?

苫米地:うん、持てばいい(笑)。持たない、ってことがブスの典型。
持てばいいんだから。自信持たないってことは、自分に能力がないってことをいっているんでしょ。
私にはこのコーヒーカップが持てない、私にはその能力がないってことをいっているんでしょ。

編集部:持てばいいだけなんですね。

苫米地: 持てばいいのよ。あるんだから。
それを自己評価っていう。他人の評価じゃないから。

編集部:それは自分の過去の実績とかなにも関係ないんですか?

苫米地: 過去、関係ないから。過去は二度とこない。
時間は未来から過去へと流れていくっていつも言っているのだけど、この話を聞いたことを一時間後に思い出したら、その時は過去になっているわけでしょ。
現在は時間が流れると過去になる。未来は時間が流れて現在になる。
現在は時間が流れて過去になる。時間は未来から過去に流れている。
てことは、過去は二度とやってこない。 当たり前じゃない。だから関係ねぇ、ってことだ。

編集部:本当にどんな過去があっても関係ないのですね…?

苫米地: まったく関係ない。ゼロ。

認知科学者・苫米地英人さんが語る「ブスとは…」 |AM



つまり、過去が「なくても」関係ない、のでは。

投稿者 zig5z7 | 返信 (1)

最近何もしていない。へこむ。

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先輩が社会人になってから今日までの年表を作っているのを見せてもらった。「ここでこういう人に会って刺激をもらって……」と説明してるのを見て、自分も、と書きはじめて見たんだけど。


ここ5年ほど、特に何も生み出していないことに気づいてしまった。


誰かのためになるようなこともしてない。

仕事での成果も特に出してない。

年下の面倒を見ているわけでもない。


凹んでいる。ずーーーーん。

投稿者 cksp6j | 返信 (1)

Re: とりあえず、コレ・・・・

スピードなら誰にも負けません。速きこと、ガーシュウィンの如し、です!

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and、高っ!!!!!!


反射的に思いついた可能性3つ。

・円盤の再生の回転数を間違えている。

・YouTube上での削除対策として、意図的に早回ししている。

 (一青窈⇄平井堅効果で、システムに対してミスリードを仕掛けている。曲の長さや音の高さを変えて違う音源だと思わせることで、手動での削除に至るまでの時間を少しでも稼ぎたい)

・LPに収める際の裏技として、意図的に早回ししている。

 (曲の流れを考えると切りどころがない=LPを通しての再生中に変なところで円盤を裏返させたくないため、ライナーノーツに「とりあえずぶっ通しでギッチギチに入れましたけど気になる方は再生時に回転数を調整してください」とか書いてお茶を濁している。はてな日記で「46分半のCD」と書いてあるのも怪しい)

そういうインチキをするケースが本当にあったのかどうかは調べてませんけども。


とりあえず、取り急ぎ、指揮者が同じのを探してみました。


テンポはともかく、音は明らかにこっちのほうが低いです。


sbifb4.sa.yona.la/2336: https://youtu.be/xTOJXxTypuU?t=58s (58秒から)

zig5z7.sa.yona.la/上記: https://youtu.be/8ytX4T2fypE?t=55s (55秒から)


ね?

(追記:速い方の13'17"以降遅い方の15'34"以降を比べてみると音の高さがあまり違わない。ものすごい小細工をしている?)


以下、軽い蛇足。

SP盤の時代には、テクニカルで中途半端に長い曲をクッソ速く駆け抜けて片面に収めきるのが名手の証とされていたことがあったようです。

このケースは、いかに上手でいかに「音楽的」であろうとも、作曲者の意図に添っているとは言えないと思います。書かれた時代にSPはなかったはずなので、入れ物の前提がない。

作曲者がそのSPを聴いたら狂喜乱舞かもしれませんけど(こんなに速く完璧に演奏できる奏者が現れようとは!)、それとこれとは別な気がしています。

……あるいは逆に、SP盤登場以降に「できるもんならやってみろよホラ」と音符を真っ黒にいっぱい書いた人なんているのかなあ。いないよなきっと。

楽譜に「可能な限り速く」という指示を書いたとしても、それはそれで、今度は「お前、遅い。クビ」とは言えなくなる。だって可能な速さは奏者ごとに違うんだもん。

「曲をSP片面に収めること」みたいな指示なら書けることは書けると思うけど、その指示が最優先と指定されているとすると……それも今とな...


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投稿者 zig5z7 | 返信 (0)

Re: みんな違っていい。(みんないいとは言ってない)

とりあえず、コレ・・・・

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ピアノロールに合わせて演奏しているらしいんですが・・・はーやーくーねー???


ついでに、この演奏についてのはてな日記を発見。必要に応じて紙っぺらの加工をしている模様・・・


あ、自分もマーシャル・プレーヤー・ピアノでエアプしたいんですけど!

投稿者 sbifb4 | 返信 (1)

納豆アレルギー、患者の8割がサーファーやダイバー

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>>

 サーファーなどマリンスポーツを趣味にしている人は、納豆アレルギーになりやすいことを、横浜市立大病院皮膚科の猪又直子准教授らが明らかにした。

 猪又准教授によると、2004年以降に同科で診療した納豆アレルギー患者18人のスポーツ歴などを調べたところ、12人がサーファー、2人がスキューバダイバー、1人が潜水作業員で、ふだん海にいる時間が長い人が83.3%を占めた。

 納豆アレルギーの患者は多くはないが、発症すると75%が、じんましんや呼吸困難など全身性の重い症状アナフィラキシーを起こす。

 原因物質はネバネバ成分のポリガンマグルタミン酸。当初、なぜサーファーに多いのか分からなかったが、患者の一人がクラゲを食べてアナフィラキシーを起こしたことが解明のヒントになった。クラゲの触手にも同じ物質が含まれており、海でクラゲに繰り返し刺されたことでアレルギーになったらしい。

 食物アレルギーは、口から食べるだけなく、皮膚を通して原因物質が体内に入ることで発症しやすいことが知られている。

 猪又准教授は「納豆アレルギーの可能性があれば、まずマリンスポーツ歴を患者に確認することが診断に役立つ」と話している。(藤田勝)

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20150522-OYTEW50383/?from=yhd

<<


 ほーー

投稿者 x3ru9x | 返信 (0)

セファランサス

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z36fdqvz


去年の冬の初めに、ホムセンのガーデニングコーナーの隅にある処分品置き場(売り場と言うより、本当に『置き場』)で、まるっきりの棒一本の枯れ木状態が150円で投げ売りされていたのを購入。まぁ150円ならダメでもガマンできる金額だしなぁ・・・・って感じだったんですが。


咲いたYO☆(ゝω・)vキャピ


正直、春になってもなかなか葉が生えてこなかったんで片付けちゃおうかと何度か諦めかけたんですが・・・やっぱり気長にやらないとだめだな、この趣味は。


そういえば、一度完全に枯らしてしまったクレマチスが復活して新芽を伸ばしてきたのです。突然枯れた理由もわかんなかったんですが、復活した理由も全くわからない・・・・

投稿者 sbifb4 | 返信 (0)

ある確信

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このトイレットペーパー、製法を変えやがったな。周回遅れになりやすくなった。

投稿者 zig5z7 | 返信 (0)

バンドやろうぜ (6/13)

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 その頃私は、ちびベーと呼ばれていた。ちびでベースを弾いていたからだ。

 黒いレスポールをだらっと下げて弾くギターはいつも伏し目で無口で、ボーカルはやたらとおしゃべりな明るいお調子者で、理屈っぽいドラムは皆から頭ひとつ突き出たのっぽで、共通するのはプログレが好き(とは言え、好きなバンドは違っていた)と言うことだけで、ドラムの作るむやみにポップな曲に、歌詞をつけるのは私の役目だった。

 レスポは、ギターを抱えていないと人と話せないタイプで、それでもソロが始まると歓声が上がる程度には人気者で、ボーカルは放っておけば歌うよりもしゃべる方が時間が多くなるのを、いつものっぽが後ろからスティックを投げる真似をしては牽制していた。

 私は黒か緑一色の姿で機材に完全に溶け込んで、弾いても弾かなくても曲の調子には一切関係がなく、皆といると、「おまえ誰だっけ?」と冗談でなくメンバーの友人知人から訊かれたものだ。

 スタジオの時間に最寄り駅で待ち合わせをしていると、ベースのケースの影にすっかり隠れてしまうような私は、チューニングにヘッドにまともに手も届かないような自分が、なぜこのバンドでベースを弾いているのだろうと、練習の時には生真面目になる彼らを見ていつも思っていた。

 私は器用貧乏でドラムも叩けたので、のっぽが練習に来れない時は確かに便利だったろう。歌詞を書くのも苦ではなく、曲はいいと言う評価は確かにあったから、私もそれほど捨てたものでもなかったのかもしれない。

 ボーカルが歌詞を書き換えたいと言うたび、書き換えた後で「元の方がいい」と言うレスポと、「オレが書いた方がマシじゃね?」と混ぜ返すのっぽと、どちらがいいか自分で決められないボーカルと、ケンカになりそうでならない、3人と私の不思議な空気だった。

 他により良いメンバーもいないと言う理由だったのかどうか、私たちは思ったよりずっと長く一緒にいた。デモテープを何本か作り、1枚だけインディーでアルバムも出した。

 ライナーやジャケットの中に印刷される私は、ちびベーではなく一応は本名を名乗り、それでも無理矢理撮った写真の中ではやはり背景の中に溶け込んでしまって、私は相変わらず「誰?」と問われる存在であり続けた。

 ボーカルが、最初にきちんと就職を決め、しばらくは背広姿でスタジオに現れたりしていたけれど、ライブのスケジュールが合わなくなり、ある日ついに「オレ、辞めるわ」と言ってバンドを出て行った。

 他のバンドに入るのではないかとのっぽはしばらく言っていたけれど、ボーカルはほんとうにそのまま私たちの周辺から姿を消してしまい、結婚して子どももできたと、数年後に風の噂で耳にした。

 すぐには後釜が見つからず、ソロの時以外は観客に近寄れもしないレスポに歌わせるわけには行かず、仕方なく次のデモの準備は私が歌う羽目になった。

 マイクスタンドの前に踏み台が置かれると言ういたずらを、のっぽに何度かされ、「誰が歌ってんだ見えねえぞ!」と客から笑いと一緒に野次られた後で、人前で歌うことに慣れつつあった私はヤケクソで開き直り、ステージでも踏み台を使うようになった。

 ベースも歌も中途半端なまま、私が足を引っ張っているのは明らかだったけれど、他の誰かを入れて何とか今保っているバンドの空気を壊すことが恐ろしくて、レスポものっぽも次のボーカル探しに本気の振りだけして、のっぽはこっそり前のボーカルに、戻って来ないかと連絡を取っていたようだ。

 歌うようになっても、私は相変わらずちびベーのまま、野次られてもうまく切り返せない私の後ろで、いつもそれに野次り返して私のしゃべりを引き取るのはのっぽだった。

 もう1枚、アルバムを出そうと、のっぽは必死だった。それに何とか答えようと、私も必死のつもりだった。

 そして、そこからレスポが脱けた。

 スタジオミュージシャンの話が来ていて、もう自力でやるのには限界がある、おれにはそこまでの才能はないと、いつもに似ないはっきりとした口調で、レスポは私たちの目を真っ直ぐ見てそう言った。

 そうして、のっぽはドラムスティックを投げた。

 曲も書けたし、キーボードも弾けるのっぽは、ドラムやバンドに固執する理由がなく、足手まといの私だけが残ったバンドに、悲しそうな淋しそうな一瞥をくれて、おまえと演れて楽しかったよと、そう言い残して去って行った。

 レスポはサポートで、他のバンドやミュージシャンのツアーやアルバムのクレジットに名前を見掛けることがある。

 ボーカルは普通にサラリーマンをしていて、今ではカラオケ程度で歌うだけになっていると聞いた(本気で歌うと騒音迷惑になると、ほんとうかどうか、同僚や部下に言われているそうだ)。

 のっぽはプロデューサー業へ進み、自分で表立って演奏することはないけれど、名前を言うとああとうなずく人もいる。

 私は今ではただのチビになり、ベースを弾いていたし歌っていたこともあったと言っても誰も信じない。1枚きりのアルバムはもう再生する機械も手元にはなく、ベースはケースごと押し入れの奥に押し込まれて埃をかぶっている。手放すことだけはできずに、それでももう中身を最後に見たのはいつだろう。

 高い棚へ手を伸ばすのに、踏み台を使うたびに、唇へ触れたマイクの硬さを思い出す。上手いも下手もなく、ただ好きでそうしていた。弦を弾いて固くなっていた指先は、もう弦を押さえてまともに音を出すこともできないだろう。

 誰にもすることのない昔語りだ。私にも、先のことなど考えずに何かに熱中していた時があったと言う、それだけの話だ。


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投稿者 43ntw2 | 返信 (1)

Re: 答えはみんなの心のなかに。

みんな違っていい。(みんないいとは言ってない)

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>絶対アレって正しいけれど正しくないですよね?

だろうなあと思います。聴いたことはないんですけども。

きっと、ある程度まで正しい……はず。多分正しいと思う。正しいんじゃないかな。まあちょっと覚悟は略。


前提以前の話として、そもそもの本家本元のオンご御大のピアノの技術の問題(どのピアノでも同じように弾けたのかというところまで含めて)はあるはず。でもこれも少なくとも本人が聴きなおしてみてあまりにもダメだったらリリースを許さないでしょうし(そうでなければ困る)、研究者なんかは聞くんだろうか。聞くんだろうなあ。

あと、ピアノロールの録音(というか収録)の時って一発録りだったのかしら。結果が紙テープなら、ハサミとノリがあればタイミングの編集はできそう。

……強弱ってどうやって収録してるんだろう?強弱に関してはむしろ粗いデジタルみたいなもんなんだろうか。


肝心の楽譜についても「悪筆で読めない」というのがけっこうあるようで、これもうわかんねえな。

曲名ですらこのありさまですし、ひどい時は「複製も手書きなので写譜屋のミスがそのまま流通」「ミスではないが、今まで流通していたのは実は写譜屋が『作曲家のミス』等と解釈して直したものである疑いが強い。発見された原譜のほうが彼のスタイルに近い。出版社宛の修正指示や友人宛の愚痴等の書簡は発見されていないが本来の意図はおそらく原譜のほう」「原譜を見てもわかんないから今回はこっちでやっちゃおう、こっちだと言い張ろう、こっちが好きだからこれでいいの!どうせ音は数秒だし」のようなケースまであります。


作曲家ではなく演奏家であれば、こういう試みがないこともないです。

要するに、グールドのモノラル音源を、アメリカのコンピュータ・ソフト「Zenph(ゼンフ)」を使って徹底的に解析し、キータッチや音量、ペダルの踏み込み加減にいたるまで完全にデータ化、それを自動演奏ピアノ(ヤマハ製ディスクラヴィア/9フィート・フルコンサート・グランド)を用いて再現するという試みであり、その再現音を録音する場所にまでこだわっているのがポイントです。

グレン・グールド/バッハ:ゴルトベルク変奏曲(1955年)の再創造 ——Zenph Re-Performance(ハイブリッドSACD) : バッハ(1685-1750) | ローチケHMV - SICC-10043


評のひとつが以下。

http://www.walkingtune.com/reproduction.html


「放映時のビデオテープを探してきてノイズ取って色を直してアップコンバートしてBD化」みたいな話で多少気持ち悪い部分はあります。


以下蛇足。

これ、ちょっと楽しそう。

曲の強弱やペダルの作動は、レバーを操作して楽しみます。原動力は、足踏みペダルによる圧搾空気です。ピアノの前に座ってペダルを踏む操作があたかも自分で弾いているような感覚がして人気があったそうです。

マーシャル・プレーヤー・ピアノ



蛇足2。

紙テープでの販売って意外といいかもしれない。画像解析で再生。

収録時間の制限が事実上なくなり、複製に手間と金がかかるようになり、サインでも入れておけばモノとしての所有欲もあおれて、時とともに劣化する。

あー、それ、つまり、紙の本だね。


3。

ヘンデルだったか誰だったか、今では相当有名なひとが、まだ若い時に、床屋の娘さんに恋をして。

当然、恋文と一緒に、想いを込めた自作の曲の楽譜をプレゼント。

でもその娘さんは彼にも曲にも全く興味がなかったらしく、その楽譜で、店の床に落ちてる髪を包んで捨てちゃってたそうです。おいいいいいいいいい

投稿者 zig5z7 | 返信 (1)

Re: 脊髄反射

答えはみんなの心のなかに。

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なんだか『今年の流行色って・・・お前が決めてんのかよッ!』に通じるものがありますね・・・・結局、全部電通の陰謀なんですよ。


>作曲者の自演や直接監修した音源が残っていません。つまり厳密な意味での本物がどこにもない。


以下、再現性と信ぴょう性の話


ピアノロールってあるではないですか。『作曲者自身の演奏』の再生音源を聴いた時のコレジャナイ感、というか、絶対アレって正しいけれど正しくないですよね?(素人判断)。再生に利用するピアノの経年劣化(もちろん最高のメンテナンスがなされているのでしょうけれども)とか、そもそもアナログデータの限界、というか・・・・そういったものを含めれば違って当然なんでしょうけれど、でもあれはあれでオリジナリティとしての価値があるものなのかなぁ・・・


でも、『作曲者自身の演奏を収めたレコード』だったら、格段に信ぴょう性が上がる気がする。同じアナログなのに。

投稿者 sbifb4 | 返信 (1)

ブックカバー (6/12)

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 友人に布小物を作る人がいて、用途がないままただ手元にあったきれを、私の好みに袋物にしてくれたことがあった。

 ある時思いついて、本のカバーは作れるだろうかと訊いたら、ハードカバーと文庫本用に数枚作って手渡してくれた。お礼に、赤ワイン(彼女はそれ以外の礼を絶対受け取ってくれない)を数本送り、私はうきうきを読んでいた本にもらいたてのカバーを掛けた。

 外出には大体本を持ち出すので、カバーがあれば表紙が折れたり汚れたりすることを防げる。家にいる時は、どの本を読んでいる最中かすぐに分かって便利だし、カバーの折り返しをページの間に挟んでおけるので、しおりを一緒に持ち出し忘れて困ることもなくなった。

 本が汚れなくなった代わりに、毎日何度も触れるカバーに汚れが目立ち始め、その頃にはもうブックカバーは私の日常品となり、タオルやTシャツと一緒に洗濯機の中で回るようになった。

 角が少し擦り切れ始めている。件の友人に修繕を頼むか、それとも新しいのを作ってもらおうか。コットンの手触りを親指の腹に楽しみながら、私はぼんやり考えている。別の1枚は着物の生地で、かすかな凹凸のあるなめらかな感触が、本と手に取るたび心地良い。

 カバーのせいで覆われた表紙は見えず、そのせいで、ページを開くたびにまるで真新しい本を今初めて開くような心持ちを、私は何度も味わうことができる。

 裏表紙のあらすじも見えず、一体これは何の本だったか、しおり代わりの折り返し部分を剥ぎ取るまで甦らない私の軟弱な短期記憶が、こんな時には少しだけありがたい。

 表紙と本の内容が一致しないから、本棚から選ぶたびに、初めて読むような気持ちで私は最初のページを繰る。

 カバーの掛かった本に特別な親近感を抱いて、私はそれをカバンに入れる。

 これは私の本だ。私が読んでいる本だ。

 自分が選んだ特別の1冊を手に、私は外に出る。バスを待ちながら読み、バスに揺られながら読み、カフェラテを飲みながら読み、またバスを待って読む。

 家に着き、カバンからそれを出し、次はベッドへ持ってゆく。睡眠薬のような、私の読書の時間だ。

 読み掛けのページに折り返しの部分を挟み込み、目覚ましや照明の傍へ置いて寝る。

 明日本を開く時にはまた、おぼろな記憶で、一体どんな話だったかと考えながら続きを読み始める。

 私の、少し壊れてしまった記憶を覆う包帯のように、ブックカバーは、私の読む本を覆う。私の読む本を、そうして守っている。

 私の脳と記憶も、そんな風に何かに護られているのだろう。

 夢の中に気まぐれに蘇って来る記憶の断片が、正しいものかどうかも定かには出来ない私の脳は、失った記憶の代わりのようにそこに文字を詰め込みたがる。文字を詰め込んで、失くした記憶の存在の記憶を、脳の外へ追い出してしまおうとしている。

 本の表紙は覆われて、題も作者もあらすじも見えない。分からなくても、物語は楽しめる。きっとそれでいいのだろう。

 ブックカバーに覆われてそこに置かれた本のように、私も毛布にくるまって眠る。しおりを挟んだ本のように、どこかから始まる夢の続きの中へ、読みかけのページを繰るように入り込んでゆく。

 目が覚めれば忘れる夢、そんな風に、私はまた本を読む。

投稿者 43ntw2 | 返信 (0)

たとえば 「べっこう」

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 亀の甲羅(素材) と職人さんのペアで 「べっこう」 という。 亀の甲羅だけでは 「べっこう」 と言わない。 傷んだべっこうのメガネを職人さんが修繕する様子に 生き物の自己修復を見るのが日本人の感性。 (つまり べっこうは生きていて自己修復するかのように傷を治した)


 神社にしてもそう。 神様を出し入れする神主さんと 入れ物である祠(ほこら) のペアでもって神社という。

 もし、神社の神主さんが死んでしまって神社が荒れると、祠(ほこら)の中の神様は小さい子供のようになって祠の中でシクシクと泣き始める。 そうゆう話を聞いてストンとくるのが日本人の感性。


 そゆう感性がAIの発展過程に表れてくると思う。

よって、日本人が考えるAIはゴッドを指向しない。



 ロボットアームとAI開発者のペアで本当のロボットアーム。 ロボットアームに開発したAIを入れるのが 「入魂」。 もし、そのペアからAI開発者がいなくなると、ロボットアームにはAI開発者の面影が残る。 そうゆう感性。

投稿者 x3ru9x | 返信 (0)

シド・ミードいわく 「神は細部に宿る」

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 「映画でもイラストでもリアリティーを上げたければもっと細部を描き込め。」 (シド・ミード)


 日本人のAIの生かし方はこの方向なのではないか。 日本人は、細部を生かすよう局所的にAIを使いはじめる。 細部が生きてくるような小さなAIを考えて細部とAIをペアにしてしまう。 AIを細部にちりばめて細部からリアリティーを上げていくようなイメージを日本人は持つ。 システム全体を動かすAIを考えるのは細部のリアリティーが上がってから。

 アメリカ人の頭の中にあるAIのイメージは、システム全体を臨機応変にムダなく動かすゴッドのような人工知能。 「統合してしまう何か」 のイメージが最初に来る。


【予想】 その国の国民の感性がAIの発展過程にはっきり表れてくる。 

投稿者 x3ru9x | 返信 (0)

Re: 似て非なるもの

脊髄反射

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http://calamel.jp/curry


多分、例によってダラダラ追記/改稿します。


追記

「保存」したいのかそうでもないのか、が明確になっていれば問題はないんだろうな、とは思いました。

ただそれを演奏者や主催者が前もってちゃんと言うかどうか。そして、「本物」好きの日本人が、日本人向けの解釈とわかって買うかどうか。


クラシックでタチが悪いのが、解釈や奏法にも流行のようなものがある点です。

そしてその流行は、どうしても、その時代の中である程度ショービズとしての成功を目指していますし、さらに、クラシックの「クラシック」な曲は、作曲者の自演や直接監修した音源が残っていません。つまり厳密な意味での本物がどこにもない。

クラシックと呼ばれるような曲の中でもごく最近のものなら録音がある場合がありますが、例外扱いとしていいくらいの量ですし、そうでないような曲は、書かれた当時に使われていた楽器の構造が今のものとかなり違うケースも非常に多い。

また、仮に「本物」があったとして、では以後全ての音楽会はその再現を目指すべきなのかという問題も。


先の投稿で引用した分の元記事で「美味しいけど日本人の口には合わないかも」はテレビならではの茶番かもしれません。番組に「メキシコの鉄人」はいないし、そんな「マイナーなジャンル」で番組が用意した和仏中の鉄人を負かすわけにはいかないだろうから。

クラシックにおいては、嫌な言い方ですが、この茶番を茶番と思わずに信じ込むことまで含めて教養とされているような部分があるように思います。

本場で修行した人はこうやってるんだから、これは、いいものだ……!!そして、マイナーなものは、マイナーな理由がある、あまりよくないものなんだ。


そうかと思うと、一方、「楽譜の出版社は、『世紀の大発見』をいくつかストックしている」という陰謀論のようなことまで語られることもあります。冗談半分というか半分本気で。

そうして改訂版を小出しにしないと楽譜が売れないから。「今までのレシピは間違いでした。考案者はこう書き遺してました。すみませーん♪」です。

こっちの耳や手がいくら慣れていようが、間違いでしたと言われてしまっては「正しく」していくしかない。


札幌ラーメンは産地呼称にするという手があるかも。札幌で仕込まれて茹でられないと名乗れない。つまり、札幌に来い。あああああ、それで「サッポロ一番」なの?漢字は地名だから使えなかったの?

ラーメンポリスはよ。「家系」は、どうだろうな……ポロイチやチャルメラやチキラーを茹でただけの「(自分の)家風」とかで逃げるか。

投稿者 zig5z7 | 返信 (1)

Re: クラシックでは邪道とされる、ような気が、する。 — 昔、料理の鉄人という番組で挑戦者と...

似て非なるもの

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『インド人留学生がボンカレーをめちゃくちゃ気に入って、「この和食めっちゃうまい!これと似た雰囲気のやつインドにもあるんすよー、カレーっていうんですけどね」って言った。』


のコピペを思い出しました。


で、本題的には、音楽の側面のどこに重きを置くか次第だと思うのです。


・伝統的価値観→改変不許可


・伝播過程での変化も含めて文化とする価値観→許可

・娯楽としての側面→許可

・ショービズとして成功を重視する場合→許可


 たぶんですが、人がモノに合わせるんじゃなくて、モノを人に合わせるほうが、当たり前ですけど気持よくて自然なことだと思うのです。もちろん、改変されていない原典に触れることにも大切な価値はありますが、本物に触れるのならば本物が本来あるべき場所に赴いて触れるのが正しいと思う。


パリで食べた札幌ラーメンがおおよそ美味しくなかったことを、この舌ははっきりと覚えているのさ・・・・

投稿者 sbifb4 | 返信 (1)

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